1.待合の客の外

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「噂は知ってるが会ったことはない。俺は夜はここから出れんからな」  楼主というものは楼が回っている間はその一階で目を光らせるのが仕事だ。 「その女の心当たりを聞きに来たのよ。出始めは半月ほど前。その頃以前に鳥屋について(梅毒にかかって)且つ廓を出た女の話は聞かないか」  冷泉の推測に成る程と思う。  噂の女は面で顔を隠すという。  (梅毒)が進めば顔は大きく膨れ上がって鼻が落ちる。全身に赤い発疹が大量に生じる。その発疹やら(そう)が、提灯やらの(かそけ)き灯の下では目玉に見えたのかもしれん。  その姿は通常忌避されるものだから、人が増えて灯が増えれば現れぬのかもしれん。  それから一度瘡にかかった遊女は病気にならぬという考えが遊郭にはあり、それは未だに根強い。幸運が訪れるという噂も案外そこから来たのかも知れん。  けれども俺にとってはそれは迷信だ。  (りん)や瘡は遊郭の業病だが、今は治療ができる。お上(明治政府)7年前(明治9年)、全国の遊郭に性病検査を行う駆黴院(くばいいいん)を設置した。この神津でも冷泉が立派な駆黴院を建て、保守管理だといって遊郭からの上がり(税収)で無料で治療を行っている。 「うちに心当たりはない。お前の院はどうだ」 「ないな。見当違いか」 「……瘡の女を客に出す楼もあるからわからんな」 「伝染るじゃねえか」  冷泉は馬鹿にするように言うが、遊郭では理屈というものはなりを潜める。 「治りかけの髪が抜けた女を縁起が良いと有難がったり、色々欠けた女が好きな奴らもいるからな。ここは苦海(地獄)だ」 「業が深いねえ」  祟られ女、か。  (ちまた)ではそれは珍しいのかもしれないが、そんなものはここでは有りふれている。大抵の女が売られるか奴隷として新地に落ち、年季明け(28歳)より遥か手前で死んでいく。使い捨てだ。  そろそろ外に闇が増える。夜見世(営業再開)で賑わう時間帯だ。眼下ではうちの花魁がシャナリシャナリと道中を始め、人集りがざわめいた。ほんの僅かな花魁だけが綺羅(きら)びやかに身請けされる。そこに到達する女は極めて少ない。仏が垂らす糸には群がっても、容易に登れはしない。  それでも冷泉が建てた駆黴院の検査や治療によって僅かにその可能性が増え、官営孤児院の設立によって殺される嬰児が僅かだけ減った。この新地は他の遊郭街よりは遥かにマシな地獄ではある。
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