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こつこつ、と規則的に響くノック音に意識を引き上げられる。
目よりも先に口が開いた。よほど力を込めていたのだろう、顎に痺れが残る。汗やよく分からない水分が乾いている感触が気持ち悪かった。
辺りの様子を確認したくとも、ハッチが泥だらけだ。汚れた箇所の隙間から、辛うじて人影らしきものが見える。こいつが叩いてきたのだろうか。ボタンを押して屋根部分を跳ね上げると、驚いたように人影は飛び退く。冷えた外気はいつぶりだろう。辺りを囲む針葉樹が、すっかり大人しくなった風にそよいでいた。
「全く、君はとんだ無茶をする。取り敢えず着地成功おめでとう、飛行士さん」
人影から声がした。どんなやつかと開こうとした目は、灼けそうな光に遮られる。反射的に手で目元を覆った。眩しすぎて熱い。
「ああ済まない! 強かったようだな、どうも」
生理的に浮かんだ涙を拭う。
瞬きをすると、全身を発光させた妙なやつが立っていた。
「お迎え……?」
「違う違う! ほら、ちゃあんと痛いだろう」
そいつは俺に近付くと、ヘルメットの上から思い切り殴りつけてきた。割れる。
「な? 生きてるから痛いのだ」
何の謂れがあって初対面のやつに殴られないといけないのか。やつは悪びれもせず、気にするなとでも言うように両手を振ってみせた。
「この姿にはまだ慣れていないのだ。勘弁してくれ」
「……生きてる、ね。……よっと」
遮光グラスを額に上げ、軋む手足を伸ばし立ち上がる。降りる際にふらついたが、怪我は打撲程度で済んだようだ。骨は折れていない。どう操縦したのかは覚えていなかったが、とにかく助かった。
想像通り、どことも分からぬ山奥に不時着したらしい。東の空が、夕陽を反射して橙色に染まっている。北西の方角には遠く、なだらかな山脈が見えた。
確認していた地図を記憶から呼び起こす。目的地のある地域は北も南も、山によって分断されている。現在地を把握する手掛かりは無いに等しかった。
「それでお前は誰……何なんだ」
ヘルメットを脱ぐ。腰に提げていた懐中電灯で機体を照らすと、塗装が痛々しく剥がれているのが見てとれた。尾翼は接合部からぽっきりと折れている。古い型だ、修理をすれば完全な別物になってしまう。長年の相棒ともお別れだと思うも、感慨深さはなかった。道具は道具と割り切ることを、覚えて久しい。
「僕? 僕はヒカリだ」
「名前を聞きたいんじゃない。幽霊か何かか?」
「だから、ヒカリ!」
点検を続ける俺の上着の裾を引いて、やつは右側のテールランプへ回った。左側よりもいくぶん損傷が激しい。フレームは歪み、内部の電球は粉々に砕け散っている。
「僕はここにいたんだ。棲んでいたと言っても良い」
「はあ」
「ここはお気に入りだったんでね、最後までしがみついていたかったのだけれど。あの嵐でこうだ、もう中に入れない。仲間は皆、墜落前に別の場所へ散ってしまったし」
「……はぁ」
ひしゃげたランプとやつとを交互に見る。
発光する身体。
ヒカリ。
光。
明かり。光源。
よく見れば、支給されるジャケットによく似た上着を羽織っている。どこかで会ったようだと思わせる見目。どこか? 鏡だ。毎日のように見ている、鏡に映った自分の顔だ。
なるほど、俺から借りた……似せたわけか。
「信じてくれるかい?」
「認める」
それはそれは、と肩を竦められた。
「こういうものを、君の属している集団は嫌うだろう? 攻撃を仕掛けるだろう? 君個人は違うのだね。一安心だ」
「こういう? ああ。俺は、ちょっと違うから」
つまり、テールランプが壊れて人間の形になった。
とは子どものお伽話のようだが、実際にこうして会話もできている。未だにじんじんと疼く頭が、夢ではないと教えてくれていた。
頭がおかしくなったのだと否定するのは容易だ。しかしそのせいで苦しむより、現状を受け入れる方が効率的だろうと思えた。
「そんなら……貸してくれるか? 明かり……電気が、勿体ないから」
懐中電灯のスイッチを切ると、一気に質量のある暗さに包み込まれた。息苦しささえ感じる。日の入りが近付くのは早い。
やつ、ヒカリの身体はコントラストが鮮明になっていた。輪郭は赤みのある黄色で縁取られている。人間の髪と爪にあたる部分が、やけに白っぽかった。
「任せてくれたまえ。ここぞというときに僕は役に立つぞ」
ヒカリは鼻歌混じりに手頃な長さの枝を拾い、指先で弾く。
盛大な火花が走り、枝は一瞬で塵と化した。
「……枝ならいくらでもあるし」
「憐れむのはよせ! 力加減が難しいのだ!」
「また眩しいのは勘弁だからな」
「承知した。いやあ、人の姿は難儀なものだね」
「そんなの知らないよ」
「分かるだろう君は人間だ。人間は概して不安定だ。だから僕も不安定になる」
「屁理屈」
「何とでも」
集めた小枝を束ねて松明状にしたものを手渡される。
「僕の手には触れるなよ。感電ならばまだ可愛いが、君を炭素の塊にしたくはない」
これ以上の怪我は御免だった。ブーツのゴム底で足元の枝を集める。ヒカリが爪先でつつくと大きな炎が上がった。
「夜明けまでには時間がある。眠るなり何なりすれば良い……何、不満かい? 消耗していて移動手段もない中で何が出来る? 今の君に必要なのは休息だろう」
「……ごもっとも」
焚火を挟んで腰を下ろす。体温が逃げないよう、積荷から引っ張り出した毛布を何重にも被った。
積荷には食糧や飲料水も含まれていたが、途中で落下したものもあって数は多くない。
それに連絡手段も絶たれている。無線は言わずもがな、非常時にのみ許可されている通信コードも使えなかった。残るは狼煙か。現在地も分からない状態でそれは無防備すぎる。そもそも、実践した話は聞いたことすらない。
「ここは南東の国境付近の山中だ。大雪の降る季節でなくて不幸中の幸いだったな」
なぜ場所が分かるのか。
尋ねると、俺が意識を取り戻すまでに「光の速さ」で山脈を越えていたらしい。
「俺も一緒に運んでくれていたら、こうも困らなかったんじゃないのか」
「黒焦げになっても文句は言わないかい?」
「……助けを待つしかないってか。それか、ここで往生するかの二択」
「折角助けたというのに往生されては堪らないのだが」
「冗談だよ。人間、酷い状況に置かれた時こそ冗談を必要とするもんだ」
「それも冗談のつもりかい、酷いなどという言葉で片付ける神経が理解できないな。君、こんな場所で一人なのだぞ」
「一人じゃない」
「なぜ」
「きみがいるだろ。二人だ」
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