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4
勝利に必要なもの。相手を凌駕する強さ。迅速な行動。虐げてきたもの、搾取してきたものを利用する姑息さ。
それらに疑問を持ち、異議を唱える者は排除する。ここはそういう組織だ。たとえ全体への影響力が無いに等しい者の意見であっても、アレルギーじみた過敏さを示す。その、強固でありながら脆弱な構造に勘付いている者はどれほどいるだろうか。建築材にはしなやかな木材が適していると聞いたことがある。同じことだ。柔軟さを欠いた組織は、すぐに折れる。
「敵の技術の流用? 馬鹿を言え、国令で禁止されてるだろうが」
「そもそも、どうやったらそんなことが出来るってんだ」
仲間の一人が持ち込んだ情報にそう返した者は少なくなかった。軍事目的であれ商業目的であれ、自国以外で生まれた技術の使用は原則禁止されている。他国に喉から手が出るほど欲しい技術があればその地域ごと手に入れる、もしくは複雑な手続きを踏む。それが暗黙の了解だ、前者が圧倒的に多いのが事実だとしても。
そのいずれにも当てはまらず、ひっそりと用いられている何物かがあるという話は、にわかには信じがたかった。
「流用がもし本当だとしたら何でばれてない? 報道官が嗅ぎ回らない訳がないじゃないか、こんなおいしいネタ。これまでみたく」
「ばれるも何も、お上が主導でやってることだからよ」
当然の疑問に答えたのは、主力となっている部隊の隊長だった。
「極力自己矛盾に陥りたくねぇんだろ。今まで掲げてきた信仰とやらがまことのものでないと認めれば、たったそれだけでここは駄目になる」
「信仰? 神のことか?」
「あぁ。技術とは言ったが要するに、喉から手が出るほど欲しかった武器があったんだとよ。見くびってた相手の方が優れてたってこった。なあ、お前の元のご主人のとこだよ、青い閃光サン」
「……そういうことか」
ぴんときた。こちらへ来る以前、そうした噂を耳にしたことがあったが、それにしても。
「とうとうヤキが回ったな」
「あん?」
「皇国が大嫌いな、非科学的事象を信仰する地域だ、あそこは」
かつての故郷はないに等しい。皇国の圧倒的な技術力になすすべもなくして敗れ、現在はその支配下に置かれていた。
「非科学的、おぞましいと言っておいて今更」
「……元から、それが欲しくてけしかけたのではないでしょうか」
年若いパイロットが苦虫を噛み潰した顔をして進言する。
「皇国の宗旨替えに従わないというだけであそこまでしませんよ。だって、ぼくたちだってそこまで神を信じちゃいないでしょ? ほんとうのほんとうに信じているものは科学だ」
「おい。言い過ぎだ」
「……すみません」
「お前、言い方が強いよ。……きみも謝ることじゃない。事実だ」
この国において、もはや科学でないものに価値を見出す者などいないだろう。全ての事物があらかた科学技術によって処理されるようになり、ひとならざるものへの畏敬の念が失われていった。それでいて、皇国が刃を振るう理由はただひとつ、信仰だった。
現在まで続いている争いにも、当初は明確な目的があったのだろう。互いが主張する不利益の解消手段として戦闘を選択することもある。しかし時が経ち、何のためにと問うことの意味すら問わねばなない、混沌とした状況が各地に広がっていた。
争うこと自体が目的化してしまえば、組織が組織の体を成すことすら困難になる。膠着状態からの脱却に有効だったのが信仰だ。実際のかたちはない、象徴への。
暴力は動物的なものであるから忌避されるならば、象徴を守り称揚するために振るわれる刃は、炎は――きわめて人間的な暴力は、どうだ。
尊いものを守るため、という思想は酩酊だ。人間的な行為に準じているのだという意識がひとたび働けば、暴力は暴力と認識されることもなくなってしまう。皇国の神へ、とがらんどうのことばをいくら聞いたかも分からなかった。この皇国に、実際に神を信仰し守らんとする者はいくらいるのだろうか。多数の者が信仰心を注ぐのは、他国を寄せ付けない強さを手にした、皇国そのものだ。
象徴を否定するもの、すなわち皇国の神への信仰心を持たぬ者は排除すべきだ、という考えが流行り病のように蔓延するのは時間の問題だった。科学への信頼は古びた信仰心と同義であることに――十分に非科学的であることに、誰もが見て見ぬ振りをした。
「で、だ。お前、逃げろ」
唐突な部隊長のことばが自分へ向けられたものだと気付くまでに時間がかかった。聞き間違いかと瞬きをするも、彼の瞳は揺らぐことなく、こちらを見つめていた。
「今度はお前がソレにされる」
しん、と静まり返った車座で、言ったのは誰だったのか。
青い閃光、と囁き声がした。
「争いが長すぎた。皆に飽きが来てるんだよ。見えもしないカミサマに」
だから別のカミサマが必要だ、と部隊長は目を伏せる。
「青い閃光には散々やられた、その事実は覆せねえ。けどそれだって、情報をちょっと変えてやるだけでこっちの有利に働くようにできちまう。例えば……青い閃光は皇国の信仰を守るという使命にいたく感銘し、自分の意思でこちら側についた、とかな」
「俺が神様扱いされるって言いたいのか? 馬鹿か」
「そうなるだけの重みがあるんだよ、青い閃光の誉れには」
「もう違う」
「違わない。青い閃光はまだ生きてる」
「だけど」
「お前はそうだとしても、俺達は!」
大声に肩が跳ねた。息を荒くした部隊長は、はっとしたようにかぶりを振った。
「お前が、……今まで敵だった青い閃光が仲間になって、しかも戦闘機乗りですらなくなったっていうのに、俺達はまだ昔のお前に蹴躓くんだよ。どんなにすげえ飛び方をしたって敵機を墜としたって、お前と比べちまう。青い閃光だったらもっと上手くやっただろう、って」
「…………」
青い閃光には空の神がついている、と噂されているのを聞いたことがある。神を追いかけて空まで来たのだと、思っても口に出したことはなかった。
「お前には分からねえだろうさ。その名がどう響くかなんて」
「……分かるかよ」
「羨ましい。それで恨めしいよ」
「憎くて堪らなかったんじゃないのか」
「そうだよ。いつになっても撃ち落とせない、とんでもねえ飛行機だと思ったよ。相対すれば自分の実力が下だって一瞬で分かるんだ、口惜しくて口惜しくて憧れてた」
「下らねえなぁ」
「うるせえよ! 名を聞くだけで全身が震える、そんなんが」
「憧れるだけじゃ、それより上には行けないだろ」
隊長はぐっと黙る。居心地の悪い沈黙が下りきる前に口を開いたのは、先程の若い隊員だ。
「そこまでにしましょう。隊長、今はあなたの告白を聞いている暇なんてないんです。……まぁ、入って日の浅いぼくたちにとっても、青い閃光は特別な名前ですけれど」
だから、と彼は、幼さの残る顔を引き締める。
「青い閃光を信じろ、信仰しろとお上が言い出すのは時間の問題でしょう。あなたが自覚していないだけで、あなたの名前に備わっている力はとてつもなく大きいのです、この国では。皇国の良いように使われるのがお好きですか? ならばどうぞご勝手に。ですけどぼくたち、あなたをお上の玩具にしたくはないんです」
「……よく言う」
「え」
彼に悪気はないのは分かっている、それでも言ってしまった。
本当に、名前ってやつはどうしてこうも厄介なのだろう。
かつての名に、いつまで縛られ続けるのだろう。
「その言い方だとまるで道具の取り合いだ」
「道具? ……っ、じゃ」
「違わないよ。道具だ。俺もお前も。青い閃光も」
空の上では誰もが自由だ、と言っていたのはどこの誰だったか。
「……墜ちれば自由かな。あぁでも、そうだよな。空を離れる気にはなれないよなぁ」
誰も口を開かなかった。優しいやつらだ。優しさだけではどうにもできないと知っている、残酷なやつらだった。
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