第2章(1) 遠くもないが近くもない距離

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第2章(1) 遠くもないが近くもない距離

 その週の日曜の朝。  晶子は自宅最寄りの京成稲毛駅から、少し込み合う電車乗って津田沼に向かっていた。  昨日の昼過ぎに舟橋から「日曜、京成笹が丘前に10時集合」という一方的なLINEが届いた。「集合!」と、どこで手に入れたのか変な決め顔の芸人スタンプも付けて来た。高校生の待ち合わせのような軽いノリだ。晶子は日曜にはなるべく予定を入れずに、のんびりと休みたいタイプなので、予定は空いている。家で晩御飯食べるか食べないを決める位しか仕事はない。日給3万円はおいしい。  良く晴れた窓の外を見ながら、そもそもの始まりを考え始めた。  最初、韓国料理屋で手紙を読んだ時、「江戸川乱歩好きの孤独なヒマ老人が、世間の注目を集めたくて書いた妄想ミステリー」だと思っていた。  しかし、帰り道に舟橋から聞いた差出人の素性は相当なセレブ。わざわざ人騒がせな手紙を警察に送らなくても、世間からの注目度は高い。財力も名誉もある人物で、ただの目立ちたがりではない。  となると手紙の送り主は、真面目に書いていたか、本格的にボケていたことになる。  ボケていた場合、手紙の文章からするとその可能性は高いが、すぐ辻褄が合わなくなるので、今日現場に行けば分かる。夕方までには家に帰るから「夕食いる!」と母親にメールすれば良い。  面倒なのは、ボケてなかった場合。差出人は大真面目にあの手紙を書いていた場合だ。手紙の登場人物は実在するので、会える人にはあって話を聞かないといけない。二十年前の現場から変わったものを調べないといけない。何より、手紙の差出人は真犯人が自分だと言っているのだから、時効で亡くなっているとはいえ遺族にそれを伝えないといけない。  これは相当にめんどくさい。帰宅時間も読めなくなるから、「夕飯要らない」判断を午前中にしないといけなくなる。まぁ、捜査は経費が落ちると舟橋は確か言っていたので、夕飯を奢らせるのに気は咎めない。ただ、行ったことない郊外のニュータウン「笹が丘」では、結局ファミレスあたり落ち着きそうで、それは嫌だと思っていた。  そんなご飯の事を考えていると、京成津田沼駅についていた。同じ駅名でもJRとは「乗り換えできません」とわざわざ書いている位離れていて、特に変化のない京成の駅。ここで階段を登り降りして、ちょうど良いタイミングで到着した反対側の京成本線臼井行きに乗り換える。成田方面に向かう各停は余裕で座れた。  ここ津田沼の思い出と言えばパルコがあること、そこにある映画館には晶子も行ったことがある。珍しいアート系の映画が上映されていて、高校生の頃に渋谷の風を感じたものだった。しかし、最近の千葉全般の不景気というか、駅前の廃れる流れに逆らえず、閉店が決定しているらしい。  座席に座って、ドア上の電子表示版で、笹が丘までの駅数を確認しようと思ったが。ハングルと中国語の表示が長くて見づらい。「さすが成田国際空港と東京をつなぐ京成本線」と思いつつも、車内を見回すと、向かい側にいるのはマスクをした藤井聡太似の年齢不詳の男がスマホゲームに興じている。隣には買い物袋を持った厚着したおばちゃん。その他は学生が多い。普通に千葉のローカル線だ。  笹が丘駅までは七駅。途中、実籾(みもみ)という不思議な駅名と、、誰か友達住んでいそうな八千代台、東葉高速鉄道って何? 勝田台と2つの台付き有名駅が続く。志津の先で佐倉の手前という、遠くもないが近くもない距離だった。  晶子はぼんやり手紙のことを思い返した。  大半は具体性のない、言い回しの繰り返しで、信用するには怪しすぎるが、その中、やけに具体的に書かれていることが気になっていた。  まずは、奪われたという1000万円。金額まで具体的に記されている。もし犯人がいる場合は、これが主目的と考えても不自然ではない。  ただこれを手紙で自白している犯人が、事件発生時の20年前でもすでに大富豪という問題は残る。そもそも普通の家に、現金で1000万円も置かれていることがおかしい。何かに払うお金だったのか? なぜ現金でなくてはならなかったのか?   そのお金を犯人が短時間に奪ったという事からすると、犯人は予めその家に現金1000万円があることを知っていたという可能性が高い。  もう一つが、被害者がその後、成田空港で発見されたという件だ。付近の防犯カメラに映っていなかったというし、わざわざ大人の被害者を遠くに運ぶ理由が分からない。殺害目的だった場合に、千葉県内で成田空港というのがいかにも中途半端だ。  最後に、これは手紙だと良く分からないが、差出人の山田総帥が繰り返し主張しているアリバイの事だ。  あまりにしつこすぎる。  まるでこの謎が解ければ、強盗誘拐の事件が全て解けるように、いい気になって総帥は書いているが、事件と一見全く関係ない。  事目撃証言や、指紋などの証拠から容疑者が浮かびながらも、警察が何らかの問題があって逮捕できない、もしくは取調べをしながらも、検事の同意が得られず送検できなかったというなら、真犯人の高笑い心理は分からなくもない。  でも、当時捜査の指揮を執っていた舟橋自身が、事件の事を良く覚えないというのだから、山田なにがし総帥は、捜査線上に容疑者として全く上がっていなかったと考えるのが妥当だ。  もちろん、舟橋が忘れている可能性は高いが、捜査側の山田総帥に対する容疑と、手紙の訴える温度が違いすぎる。告白の主は、まさにこのアリバイトリックこそ事件の要という感じで手紙を書いている。それが検証に値するのかどうか?   ここをクリアに出来れば、手紙の信ぴょう性自体も明らかになるような気がする。  そんな事を晶子が考えていると、目的地の京成笹が丘駅に近づいていることをマシン声風の社内アナウンスが告げた。
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