金曜日の午後、東屋にて 2

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金曜日の午後、東屋にて 2

 放課後。朝から続く晴れ模様が夜に向けて若干落ち着きだした頃。僕は急ぐ気持ちを抑えながら、いつも通りのスピードで公園まで向かった。こんなところで事故ってしまっても嫌だから、なるべく慎重に、跳ね上がるような心臓を深呼吸をして落ち着かせながら歩みを進めた。  いてほしい。いや、しかし無理してまで来てほしくはない。結局、送ったメールに対して返事は来ていなかった。ただそれは想定内のことだったから、それほど落ち込んでいない。僕が春喜さんの立場だったとしても、返信はしないだろう。金曜日の午後にならないとわからない気持ちがある。そのときが来るまで、無駄な言葉を送る必要はない。  東屋の近くに着いたとき、僕は一度目を瞑った。そして周りにある音を拾ってみた。木々、虫、子供、自転車。みんな、何かしらのメロディを奏でていて、この世界に音をもたらしてくれる。その中に、僕が望んでいるメロディがあるだろうか。何度も鼓膜に意識を集中させて、聴く。  すると、わずかにペンを動かす音が聞こえた気がした。それはこの世界から遥か遠くにある星でひっそりと暮らしている妖精が放つ、弱々しい音だった。  僕は目を開けて、東屋まで一気に足を進めた。我慢の限界だった。彼は明らかに弱っている。死を迎えるセミみたいな悲歎を抱えて、今にも何処かへ消えてしまいそうだった。 「春喜さん!」  東屋に、彼はいた。僕の目の前に、間違いなく存在していた。金曜日の午後、東屋には彼がいた。もう、それだけで僕の目は熱い涙に覆われてしまい、すぐに潤んだ。 「大島くん」  春喜さんの手元にはノートとペンが置かれていた。パソコンはなかったが、コーヒーの入ったペットボトルは置いてあった。手首まで隠してしまうベージュのシャツは、僕が彼を初めて見たときに着ていた服と同じだった。  僕は春喜さんに近寄って、まじまじと見つめた。スッとしているどころか痩せこけてしまったように見える顔も、華奢な身体も、細くて白い指も、だいぶ引き締まった腰回りや足も、赤色のスニーカーも。全部が愛おしいだけで、それ以外の何ものにもならない春喜さんを、僕は随分と長い間見ていた。そして春喜さんもまた、学生服に身を包んだ僕を見つめ、何も言えずにいた。 「会いたかったです」  僕はそれだけ言って、もう一歩彼に近づいた。後一歩近づけば、それは恋人同士の距離になってしまう。だからその一歩前まで、禁断の距離を越さない、だけどギリギリのところまで近づいて、彼の世界に侵入した。 「俺も、会いたかったよ」 「本当ですか?」 「うん、会いたかった」  会いたい。僕も、春喜さんも、お互いの存在を認め、求め合っていた。  ずっとずっと、僕は一人だった。自分がゲイであることを知って、卑しいと自己嫌悪して、否定して、貶して、肯定感を解除して、だけど周りと混じり合うこともできず、社会に溶け込むことができなくて、ただただ取り残されてしまった孤独人だった。 「ごめん。全然連絡できなかった。俺が悪いのに、大島くんに心配させちゃった。まじで、ごめん」  その責任感が、余計に息を詰まらせる。 「謝らないでください。謝られると、辛いです」  僕の本音が漏れる。ボロボロと出る涙と一緒に。 「うん」  春喜さんは僕の襟元を見ていた。僕は春喜さんの胸を見ていた。秋空は確実に陽を西側へと沈ませて、彼に似た月が出てくるための場所を設ける。それが、僕らの一日。僕らを動かす一日の空。その下で、僕は一番言いたいことを言った。 「春喜さん。僕はただ、春喜さんのそばにいたいです。それだけです」  僕には僕の想いがある。春喜さんには春喜さんの想いがある。僕には僕の世界があって、春喜さんには春喜さんの世界がある。僕という存在も、春喜さんという存在も、別々。だが、そんな二人が一緒にいられる世界を僕は追い続けていた。そして求め続けていた。それらの結実が東屋を特別な空間に変えてゆく。精神的な交わりが、僕の手を春喜さんの手に添えた。春喜さんの温もりを、春喜さんの感情を僕は共有する。そして繋がろうとする。僕の想いを、世界を、春喜さんに重ねていく。 「ありがとう、大島くん」  春喜さんが僕の手をギュッと握ってくれる。その瞬間、僕の心底で振動していた「好きという気持ち」が目覚めて、僕の全身を燃やすほど火照らせた。結果、僕は今までにないほど涙を流した。これほど愛おしい気持ちを迸らせたことはなかった。 「春喜さん」  抑えたかった。抑えなければならなかった。関係を壊したくない。困惑させたくない。それでも、僕は止まらなかった。 「僕は、春喜さんが好きです。初めて会ったときから、ずっと、好きです。だから、僕の恋人になってほしいです」  言ってしまった。僕の言葉は、きちんと彼の耳元に届いた。それくらい、僕の声ははっきりしていた。 「俺も好きだよ」  そこで、二人の視線が重なった。真っ直ぐな線を描けるくらい、一つになった。 「だって、こんな俺のそばにいてくれる人、友成くんくらいしかいないから。こんな罪深い俺を想ってくれる人、他にはいないよ」 「僕らは似ていますよ。だから、お互いを欲してしまうんです」 「うん、そうかもしれないね」  僕らの手は繋がれたまま、互いの熱をリンクさせていた。僕は彼の存在を好きになり、彼は僕の存在を好きになった。その瞬間、僕らは小さな東屋の中で心に炎を灯した。それは、消えることのない愛だった。 「これからもよろしくね、友成くん」 「こちらこそ、お願いします。春喜さん」  金曜日の午後、東屋にて僕らは孤独ではなくなり、同じ世界に住む恋人になった。  
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