僕という存在

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僕という存在

 僕という存在は歪である。それがどれくらい歪であるか、何かを用いて測ることは難しいが、普通とは呼べない状態であるのは間違いない。    多くの人にとって普遍的な日常の景色があるとして、僕はその景色を見ることができないでいる。物理的にではなく、精神的に見える景色が他の人と異なっているのだ。  例えば、他の人たちにとって見える葉と、僕が見えている葉の色は、同じ緑でも濃淡や輝きが違っている。彼らが「きれい」と見えても、僕には「きれい」に見えるとは限らない。しかし彼らは自分たちの物差しが価値観の全てだと勘違いしているから、僕の見え方を真っ向から否定する。挙げ句、僕を軽蔑する。しかし直接的でなく、あくまで間接的に。    とても些細なことだが、それも積み重なると大きな傷になる。十七年ほど生きてきた僕は、そんな傷を抱えているせいで歪になってしまったのかもしれない。    どうして僕がこんな状態になったのか。様々な原因はあるはずだが、一番大きな原因は『性』にある。それは自分自身と言うよりも、相手に向ける『性愛』だ。僕はそこ辺りが周りの人と共有できずにいる。そのせいで、生きることすら苦労している現状である。    僕という存在は、やはり歪である。
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