金曜日の午後、新緑の葉が揺れる

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金曜日の午後、新緑の葉が揺れる

 立夏を迎え、人々がゴールデンウィークから追い出された。この街もいつも通り静かで、新緑の葉が孟夏の微風で揺れる音が聞こえる。それが僕にとっては春の終わりを告げる声に聞こえて、なぜだか麦茶が飲みたくなってしまった。    週末の始まり。つまり金曜日。僕は帰宅している途中で自動販売機を見つけ、小銭を入れてペットボトルの麦茶を買った。その場で蓋を開けて少しばかり液体を喉に通した後、そういえばこの近くに公園があり、日陰に小さな東屋があったことを思い出した。たまには自然の下に身体を預けるのも悪くない。思い至った僕は再び歩みを進め、公園へ向かった。    公園といっても、その場所は子供用遊具以外に広大な場があり、そこは自由に遊べるスペースになっていた。小さい頃は僕もその場所で鬼ごっこをした。わんぱくだった少年たちと一緒に、僕も一生懸命駆け巡っていたはずだ。あの頃の元気はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。    公園に着き、僕は迷わず東屋を目指した。敷地内はエネルギッシュな緑で溢れかえっていて、小さな羽虫やモンシロチョウがゆらゆらと空中を飛び回っていた。健康器具が設置されている場所で、おじいちゃんが懸垂をしていた。ベンチではおばさんがひっそりと座り、読書をしていた。小さな子供たちが平地を走り回っていた。その横を、僕は一人通り抜けた。    そして東屋に着いたとき、誰かの背中があった。どうやら先客がいるらしい。いくら公共の場所とはいえ、他の人がいると座りづらい。その人の対面で座ることも、もちろん隣に座ることも、人見知りな僕にはできなかった。今日のところは仕方がないから、僕は東屋を素通りして家へ帰ることにした。    葉を踏みつける音。バイクが通り過ぎる音。子供たちの笑い声。それらを聞きながら、僕はゆっくりと東屋の付近を通り過ぎた。そして一度だけ、ちらりと東屋を見てみた。誰が座っていたのか、ほんの少し気になった。    すると、そこにはおぼろげな光があった。それは目を眩ます太陽の光ではない。街灯や店の電光とも違っている。もっと淡くて、柔らかくて、慈しみのある光だった。    そうだ、月だ。月の光だ。    僕はその人を見たとき、月の光を見た気持ちになった。自らは一切主張しない、優しい光。    そして少しばかり、僕はその人に見惚れてしまった。その人のフォルムにも、放つ控えめな輝きにも、スッとノートのページをめくる仕草にも。誰だろう。この街に十七年ちかく住んでいるが、僕はその人を見たことがなかった。清流のような透明感があって、一切無駄がなくて、まるで整理整頓された部屋のように全てがキチッとしているように見える。短く切った横髪も、ベージュ色のシャツも、袖先から出ている細くて白い指も、僕にとっては魅力的で、心臓が激しく揺れていた。    彼はとても綺麗だ。そして、かっこいい。    だけど、声をかけることはできなかった。それに彼がこちらを向いてしまえば、僕の景色が音を立てて崩れてしまいそうで怖くなってしまった。僕はその人から目を逸らして足早にその場所を立ち去り、公園を出た。そのとき、フッと神様が息を吹き、新緑の葉が揺れた。そして僕の気持ちもまた、大きく揺れ動いていた。
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