初めての言葉 1

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初めての言葉 1

 僕にとって、娯楽などほとんどなかった。友人もいない僕は、いつもは学校が終わるとすぐに家へ帰り、部屋の中で眠るか勉強するしか暇を潰すことができなかった。毎日毎日、一寸の刺激も与えられない生活に飽き飽きしていたが、だからといって誰かと接触することはできず、悶々とした日々を送っていた。    そこに、一人の男性が現れた。その人はすぐさま僕を虜にして、四六時中僕の頭の中で生きている存在になった。今まで退屈だった僕が、彼と会ってからは無限に広げられる妄想をして楽しんだり、彼のことを想って散文を書いてみたり、いやらしい想像をしてみたりと、とにかく彼を中心にしてその周りを僕が回りながら眺めて楽しむ生活が続いた。そして、週一回だけ見ることができる本物の端正な顔立ちに見惚れながら、すっかり夏模様と変わった公園の中で煌めく幸福感を味わっていた。    七月も終盤に差し掛かる金曜日のこと。僕はいつも通り放課後になったらすぐに学校を出て家路を辿った。そして途中で見えてくる公園に立ち寄り、隅にある東屋まで歩みを進めた。    今日も、彼はいた。ネイビー色の半袖ポロシャツに、ベージュのチノパンを履き、靴は赤地のスニーカーだった。彼はいつも通りノートを広げ、ペンを持ち、時折ストレッチをしながら真剣な表情でノートに向き合っていた。それから、今日はパソコンを脇に置き、何かがまとまるとキーボードを叩いて文字を入力していた。新品の筆みたいに艶がある髪を撫でて、毛先を指でクルクルと巻いては外す。それから何かを思いついた素振りを見せると、ペンでノートに書き込み、パソコンで入力していった。    すでに季節は夏であり、この日も気温は三十度を超えていた。僕のワイシャツはすでに汗で湿っている。頭皮から、腕から、そして足から水分がじりじりと抜かれている気がして、干からびそうだった。しかし彼の場合は時折ペットボトルの水を飲んでいるだけで、涼しげな顔をして作業に没頭していた。暑そうにハンカチで額を拭う様も、襟の部分を掴んで体内に風を送り込む様も見ることができなかった。そのせいで彼のところにだけ雪が降っているのかと錯覚してしまうくらいだった。僕はそんな彼の姿を飽きることもなくしばらく眺めていた。    すると、彼が突然ペンをテーブルに置いて、おもむろに立ち上がって僕の方を向いた。僕は思わず目を逸らした。一瞬だったが、彼の目には万物を飲み込んでしまうような吸引力があった。そして、彼はおそらく僕の方を向いたままこちらに歩いてきた。逃げないと、逃げないと。だが、僕の足はコンクリートみたいにガチガチに固まって動かなかった。足音が近づいてくる。静かに、僕と彼の距離が縮まってしまう。 「君、いつもここにいるよね」  
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