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ゆっくりとした足取りで、十分ほど商店街を歩くと、トタン貼りの小さな倉庫に着いた。
築四十年くらいの古い鉄工所を改装しているからか、壁のところどころが錆びていて、廃墟のような陰鬱な雰囲気を漂わせている。
わたしが倉庫の鍵を探そうとして、ポケットの中を探ると、日の暮れた商店街にチャラチャラと鍵の音が響いた。まだ八時を回ったばかりだというのに、向かいの花屋はシャッターを下ろしているし、隣の駐車場にも車はない。
もっと言えば、駅の北口にあるはなみずき商店街は、スナックも、居酒屋も、ファミレスもない。だから夜は人通りがまばらだ。夜遊びをしたい大人たちは、南口の飲食店でお酒を飲むし、ワルツの絵を見るために商店街を訪れる人もいるが、そんなのは一握り。夜が深まれば通行人すら居なくなる。
そういう静かな場所だからこそ、わたしは音を気にせずギターが弾ける。買い手のついていない家具たちと一緒に、現実から切り離されたような倉庫で、今夜も一人、演奏会を開くのだ。
わたしはポケットから鍵を取り出して、シャッターの鍵穴に挿した。トタンのキシキシと軋む嫌な音が響いた。いつもの場所だ。この倉庫でわたしはずっと自分を慰めている。
自分がまだ音楽を好きでいると気づいた時は、複雑な気持ちだった。嫌でも耳に入ってくる女の子のキレイな声や、カラオケに誘ってきた友だちの無邪気なソプラノを聞くと、急に胸が苦しくなって、喉が渇いて、言いようのない感情が心を締め付けた。
クラスの合唱コンクールで伴奏をやったときもそうだった。高い音、低い音、壊れていない素直な音。鍵盤に指を滑らせるたびに音が弾んで、一寸の狂いもなく音階が返ってきたのに、楽譜越しに見えるクラスメイトの生き生きとした表情を見て、また胸が苦しくなった。どう考えても正確な音を奏でているはずなのに、チグハグな歌声の方が輝いて聞こえた。
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