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「綿谷さんのポリープを切除することはできますが、手術の後遺症で音域が狭まったり、声質が変わる場合もあります。この病気の一番の治療法はストレスを溜めないことです。もしコーラス隊に復帰しても、声が出ない苛立ちから再発する可能性もあるので———」
温厚そうな医師は、言葉を選ぶように間を空けてから「辞めたほうがいいと思いますよ」と、静かに言った。
わたしは悔しさが込み上げてくるのを抑えて、病室の窓の外に視線を投げる。
診察室から見える中庭では、満開の桜が咲き乱れ、ひらひらと花びらが散っていた。
春を待ち焦がれ、やっと花を咲かせたはずなのに、こうもあっさりと終わりを迎えてしまう。桜も人も賞賛されるのは一瞬———。わたしはその日のうちにコーラス隊を辞めた。
「手術が上手くいけば、声が戻るかもしれないじゃん」と励まされたけれど、現実はそう甘くなかった。手術を終えたわたしの声は、アルトとテノールの中間ぐらいまで低くなった。
「でもさ、ソプラノが出ないなら、アルトを歌えば良いんじゃない?」
夕食のテーブルで黙々とパスタをフォークに絡めていると、呑気な調子で母が言う。
前の席に座ったまま、ボテボテと粉チーズをかける手元を眺めていると、自分の眉間に力が入っていく。こういうトッピングは適量だから美味しいのであって、度を超えると厄災みたいな味になる。夢だってそうだ。人生のちょっとしたトッピング程度でいい。精神的な支えにしてしまうと、絶望するはめになる。
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