はなみずき商店街にはバンクシーがいる

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 だからもう人前でうたを歌わないと決めた。  わたしは目の前にあるミートソースパスタみたいに、なんの個性もない、平凡な女の子で生きていくのだ。 「もういいって。わたしはこのミートソースみたいにつまんない人間でいいの。もう歌手になりたいなんて言わないし、人前で歌うつもりもないから」  口に入れたパスタは、柔らかくなり過ぎていて、正直美味しいと言えるものではなかったけど、つまらないやつが食べるパスタはやっぱりつまらないんだと、腑に落ちるものがあった。  無言でパスタを頬張っていると、母もまたムッとした顔で粉チーズまみれのパスタを口へ運んだ。  真っ赤なリップを塗った唇で、真っ赤なパスタを啜る母親には、負け組のわたしの気持ちなんてわかるわけがない。  就職先の大手家具メーカーで父と出会い、二十五才で結婚し、長年の夢だった輸入家具店を開く計画も着々と進んでいる。その兼ね合いで、慣れ親しんだ土地を離れることにはなるけれど、両親は幸せそうだった。自分たちの夢を自分たちの努力で勝ち取った二人には、明るい未来が見えているのだろう。勝ち組の母からすれば、少しの挫折で夢を諦める娘は、つまらない人間に見えるだろう。  ———でも、これだけは言える。  夢を叶えるのに必要なのは、才能なんかじゃなくて、夢を見続ける持久力だ。わたしにはもう、夢を抱え続けられるだけの腕の力が残っていない。二人で夢を支えてきたあなたたちとは違う、と。
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