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「そんなの、やってみないとわからないでしょ。アルトだって歌ってみたら楽しいかもしれないじゃない。ね?」という母の問いかけに、わたしは「わかるよ」と答え、ミートソースパスタを半分残して席を立った。
とぼとぼとした足取りで廊下を進み、自分の部屋のドアを開けると、壁に立て掛けられたアコースティックギターが目にとまる。
そのつるんとした朱色のボディが、わたしに思い出させる。小学生の時から、将来は歌手になりたいと言っていたこと。父親がクリスマスにギターを買ってくれたこと。一生懸命にギターの練習をしたこと。楽譜が読めるようになったこと。そして実感する。「わたしがステージに立つ日が来たら、絶対にこのギターを弾くね」父とした約束は果たされない。歌うことが好きでコーラス隊にまで入ったのに、喉を壊したら元も子もないのだ。
「‥‥‥ひっ、ぐ」
気がつけばわたしは泣いていた。
「やってみないとわからないでしょ」母親のさっきの言葉と、口からこぼれる嗚咽が、頭の中で混ざりあう。
わからなくなんかなかった。
人生で一番輝けるはずの青春時代に、大きな傷がついたことも、アルトを歌ったところで自分が満足しないこともよくわかっている。だからこそ、苦しくて悔しくて悲しいのだ。
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