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他人の優しさを求めて、あんなふうに傷付くのなら、最初から期待しない方が良い。ひとりで傷を舐めている方がずっと楽だ。
「お父さん、今日も倉庫借りるね」
夕食の皿を洗いながら、リビングの父親に声を掛けると、「おう」と言って左手を上げた。
わたしは喉を壊してからずっと、店の倉庫で一人、ギターを弾いている。ギターを弾いているときだけは、なんとなくあの頃に戻ったような気持ちになれた。
「あ、そうだ一色。もしワルツに会ったら、うちのシャッターにも絵を描いてくれって頼んどいて」
わたしは玄関で靴ひもを結きながら、「覆面アーティストなんだから、そんな簡単に会えないでしょ」と返した。
ワルツというのは、はなみずき商店街に出没しているストリートアーティストだ。
名前も性別も、年齢さえも明かさないワルツは、商店街の至るところをカンバスに見立てて、スプレーでグラフィティを描いている。初めのうちは、悪質な落書きと揶揄する声が上がったものの、十代、二十代が写真をSNSにアップしたことによって、話題に火がついたのだ。ワルツの作品目当てで商店街を訪れる人も増え、今や「はなみずき商店街のバンクシー」とまで言われている。型紙にスプレーを当てて描く『ステンシルアート』と呼ばれる作風と、制作している姿を見せない、人前に現れない。そういった特徴が、世界で活躍するストリートアーティスト、『バンクシー』に似ているらしい。
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