かにの日

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かにの日

その日の午後、おのおの授業から戻ったカンヤとシフシュは、家の玄関の前で出くわしました。 「おかえり、シフシュおにいさん!」 「ただいま戻りました。おかえりなさい、カンヤさん」 「ただいまー」 カンヤは実に愛くるしい笑顔を見せます。 「こんなとこでぴったり会うなんて、めずらしいね」 「そうですね」 話をしながらドアを開けます。 と、エントランスのはしに黒い頭の人影がまるくなっていました。 「リンリおにいさん?」 プリンセスがいぶかしげな声でその名を呼び、そのちいさな頭ごと首をかしげます。 リンリはパッと振り返り、どこかバツが悪そうに立ち上がりました。 「なにしてたの?」 「いえ、なんでも」 「な・に・してたのー?」 「いや……ただ、カニを見てました」 「…………は?」 カンヤがすこし考えたあとにそんな声を出したのと同じように、シフシュにもリンリがなにを言ったのかよくわかりませんでした。 リンリが人に伝わらない話し方をするのが意外でもあります。 「かに?」 「蟹です。いるので。蟹が。ここに」 そう言ってリンリはさきほどまでうずくまっていた場所を指しました。 ふたりにはただ床にカーペットが敷かれているだけしか見えません。 まだ、彼がなにを言ってるのかよくわからないままです。 もちろんそれは本人にもよくわかっていて、補足するために続けて口を開きました。 「床材の石に、古代の蟹の化石が残ってるんです。このあいだ気がついて、ときどき様子を見ています」 「────え?」 カンヤは思わずシフシュの方を見ました。 シフシュも思わずカンヤの方を見ました。 「知らないんですか、カンヤさん?」 まだついこのあいだここへ来たばかりのシフシュはともかく、カンヤは生まれてこのかたこの家で暮らしています。 「知らない!」 と、リンリのむこうに確認しに行きます。 「カーペットの下です」 リンリが立ち位置をずらしながら、補足しました。 カンヤはカーペットをめくりました。かどではないので持ち上がるのはわずかです。 頭を下げて、その中をのぞきこみました。 そして、息を飲みます。 「ほんとだ! かに!」 とふり返って、キラキラした目でリンリを見ました。 「まじですか」 シフシュが思わず言いました。 「まじだよ。シフシュおにいさんも見て!」 ふたりは場所を交代して、今度はシフシュがカーペットをめくって中をのぞきました。 かにです。 それは思った以上にかにでした。 薄茶色の床材の四角く切られたはしのほうに、それよりも濃い茶色でかにのかたちが浮き上がっています。 「本当だ。カニがいる。化石、こんなきれいに残るんだ」 と、リンリを見ました。 彼ならきっと説明してくれると知っているからです。 「この見るからに蟹の形に切り出されたのはだいぶ運がいいでしょうけどね」 「なんで石の中に?」 「石切場のあたりが昔は海だったんでしょう。それが圧縮されて石になるときに巻き込まれたんですよ。他にもいろんな古代のいきものが一緒に固まっているようです。ぼくらが気づかないだけで、古代の植物の化石なんかはだいぶよく入ってるらしいですし」 「へえ。ものしりだ」 「一般教養です。首都駅の石材にもいろいろいるというのは有名ですし」 「そうなんだ。知らなかった。駅も行ったことあるのに」 「まじまじと床や柱を見たりはなかなかしませんからね。自分で見つける、というのはまあまあ変態の所業ですよ」 「そっかー」 「リンリおにいさんはなんでうちのかにさんわかったの? わたしも知らなかったのに!」 「はじっこすこし見えてるので、なんかあるかなと思って見てみたんです」 「そしたら大当たり」 「そうです。びっくりです」 「なんですぐ教えてくれなかったのー。教えてよー」 「こぞんじかと」 「知ってたら言うでしょ、みんなに」 「ぼくらに知らされなかったということは、王家のみなさんは興味ないのかと」 「あるよ! かにだよ!?」 「そうですか」 「知らなかったし。母上と父上は知ってるのかなあ?」 「家のあるじが知らないとかありますかね?」 「でも知ってたらふつうわたしにも言うよね?」 「そうですね──」 そんなことを話していると、奥のドアが開いてロントが顔を出しました。 「玄関でなにしてるのきみたち?」 「ちょうどいいとこに!」 娘の剣幕におされ、すこしあとじさります。 「な、なに?」 「かに、知ってた?」 「なんて?」 「かに」 「かに? って、海とかにいる甲殻類の?」 と、指をチョキのかたちにしてみせます。 「うん。そこにいるの」 カンヤは足元を指を差しました。 「はい?」 ロントは娘に呼ばれてそちらへむかい、カンヤがカーペットをめくるとふたりでのぞきこみます。 「カニじゃん!」 「そーだよ」 「殿下もごぞんじなかったんですね」 「え、なんでここに?」 「この石ができるときに一緒に固まったみたいです」 「じゃあ、ずっとうちにいたの?」 「最近床をはりかえたとかでなければ、ずっといたんでしょうね」 「うそ。全然知らなかった。生まれたときから出入りしてたのに」 「ご両親やご親戚からも聞かなかったんですか?」 「聞かなかった。みんな知らないんじゃないかな。知ってたら言うよねふつう?」 ロントは娘と同じことを言います。 シフシュとリンリは、やはり父娘なんだなと思いました。 「ご先祖の誰かが伝え忘れたんだ」 「カーペットで隠れてますからね。業者が伝えなかったから実はご先祖もしらなかったかもしれませんよ」 「えー。そんなことある? かにだよ?」 「王家のかたは化石のかにに興味ないだろうと思ったかもしれません」 「王家に対する偏見だ」 「まあ実際はわかりませんけど」 「ともかく、せっかくリンリおにいさんのおかげで見つかったことだし、これからは次の世代へきちんと伝えていかなきゃだよ! 我々には責任があるよ!」 「はあ」 「リンリおにいさんの名前は発見者として記しておかなくてはだし」 「いや、いいっすそーゆうの。っていうかなにに記すんです」 「わたしの日記とかに」 「あ、まあ、それは好きにしてください」 「母上も知らないよね?」 「僕が知らなくてキキが知ってるってことはたぶんないと思うけど」 国王夫妻はまるで姉弟のように育った幼なじみのいとこ同士なので、その経験にはほとんど差がありません。 「帰ってきたらわたしが言いたいー。いい?」 「いいですよ」 「先にバラされたくないからヨキヲキに言うのはあとにして、父上」 「わかったよ」 「今日はかにの日だ」 「そう言うと、かに食べたくなりますね」 「たしかに」
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