聖女と腐敗

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聖女と腐敗

 これは…うーんと昔の話さね。 火の時代が訪れる前よりも、更に前の、前の話___  北の大国、ボーレタリアに六人の聖女がおったそうな。 その中でもとびきり「真摯」と謳われた一人の聖女、「乙女アストラエア」は、貧者を救うべくボーレタリア中を巡っていた。 ああもちろん、彼女には従者がいた。 堅牢で、真面目で、決して彼女を裏切ることはない。 ボーレタリア一勇敢だったとされるパラディン「ガル・ヴィンランド」  だった…そう、ある日突然、二人は消息を絶った。 最後に目撃されたのは、腐れ谷と呼ばれている辺境の、それはそれは汚らしい毒にまみれた沼地だったそうな。 ___腐れ谷最深部  成程、アストラエア様、これが谷を汚染している元凶のようです。 腐敗臭をまき散らしながら、腐り落ち続ける肉をまき散らす巨大な肉の塊。 見た目からは想像もつかないが、それは列記としたデーモンである。 この世の全ての醜悪をそこに閉じ込めたかのような、汚らわしい外見の怪物。 それを目の当たりにしても、従者ガル・ヴィンランドは冷静さを保ち続けていた。 なんて、恐ろしい…それに、この臭い… 一瞬の油断、一瞬の怯み、それを見逃さなかった腐敗のデーモンは、腐った肉を彼女目掛けてまき散らす。 ガルは暗銀の盾をもってして全て弾き返すも、飛び散ったジェル状の肉にも意思があった。 弾け飛んだ泥のような肉は、這いまわって再び彼女を目指す。  くそっ!アストラエアァ! もしも彼女を死なせてしまったら、俺は今後の生きる意味を失う。 それだけは、避けなければならない…! 踵を返し、武器を振り上げるもそれでは間に合わないと判断したガルは、その身をもって絶大な威力を持った壮絶な光を放つ。  生命を賭した最上にして最後の耀き。 この光の中では、腐敗のデーモンはその存在を赦されなかった。 穢れある者を全て払い退ける光の中に、腐りきった肉は霞のように溶けてなくなる。  そんな…ガル・ヴィンランド! 暗銀の鎧は効力を失い、それと同時に、耀きを失った。 それは、装備していた者の命の終わりを示していた。 …そんなのダメよ。 ガル・ヴィンランド…この旅は、貴方と一緒にいたからこそ、成り立っていた。 貴方と一緒だったからこそ、どんなに辛い目にあっても、笑って過ごせた。 貴方と一緒じゃないと、きっと、私に明日は来ない…っ!  奇跡の力、それは、祈祷者が追い込まれれば追い込まれる程、より一層「本物の奇跡」へと近づく。 本物の奇跡とは即ち、「神の御業」に他ならない。  私は…アストラエア様…? ガル・ヴィンランド!?よかった!もう、二度と目を覚まさないのかと… いったい何が… …私もよくわかりません。必死で貴方を回復させようとしたら、突然貴方が光に包まれて… そしたら、鎧が耀きを取り戻したので、もしかしたらと思って…  あれは、「蘇生」の力…? 腐敗のデーモンの残滓は、この一連の「奇跡」を背後から目の当たりにしていた。 この奇跡は、二人の結束があまりにも強いからこそ起きるものだと分析したデーモンは、最後の力を振り絞り、アストラエアの体内に肉の種を残した。 ほんの小さな種ではあるが、彼女が救済によって人々を救う度に、それは開花へと近づく。 せいぜい、この地に残した数えきれないほどの犠牲者達を癒してまわるがいい…  二人は、英雄と呼ばれるべき存在となったはずだった。 実際、腐れから解放されたその時は皆がそう思い、彼女達を尋ねた。 ありがとう!心から感謝する!ありがとう!ありがとう!… …しかしところで、あのデーモンにめちゃくちゃにされた人々を癒して欲しい。 あっちもこっちも、みんな、みんな…  どこから知ったのか、彼女の特異な能力は噂となっており、「谷の者なら知らぬ者無し」となるほど評判になった。  しかし、無尽蔵に奇跡を起こせる者など、そんなもの、この世に存在できるわけがない。 救済とは、負をどこかへため込む為の一連の流れに過ぎない。 いつしか彼女は疲れ果て、かつて、腐敗のデーモンを倒した谷の最深部へ向かう。 あの場所は、いつになっても忌避され続ける場所であるがゆえに、誰も踏み入らない、二人だけの約束の場所となっていた。  アストラエア様… 救済につぐ救済によって疲れ、やせ衰えた細身の彼女の身体は驚くほど軽かった。 こんなにも、やつれてしまって… ガル・ヴィンランドは嘆いた。今までに一度だって、溜息すらつかなかった彼が、心底呆れ果てる。 あの民衆達は、”このこと”を理解しているのだろうか。 いや、しているわけがない。彼らは、救われることしか頭に無いのだ。 救い続けるこのお方の気持ちなど、考えた事もないのだろう…  ようやく、人間を憎む気持ちが芽生えたか。 !? 何処からともなく声がした。 邪悪で、恐ろしい、魂に直接語り掛けるかのような、低い低い声。 これは…まさか!? ああ、わかる。わかるぞ。 「あり得ない!?あの時倒したはずだ!」 なんだこれは…俺の内心が…”反響(ダブ)る”…? これはこれは驚いた。なるほど、お前たちの仲はそんな域まで達していたのか…ははは!  かつてこれほどまでに邪悪な以心伝心があっただろうか。 アストラエアにとり憑いた肉の種は、ガル・ヴィンランドの”人を憎む気持ち”に呼応し、その花を胎内に咲かせたのだ。 彼女はもはや腐敗したデーモンの一部であり、かのデーモンもまた、アストラエアの一部であった。 それゆえに、想い人の気持ちが手に取るように解る。 「ガル・ヴィンランドなら、きっとこう思うだろうな」 やめろ!やめろ!やめろ! 絶望、恐怖、怒り、困惑、全ての負の感情が入り混じった史上最悪の嫌悪感がガル・ヴィンランドを襲う。 パラディンもこうなってしまえば”ただの人間”。 錯乱した彼はついにその使命を果たさんがため、聖なる宝具「ブラムド」を持ち上げた。 おいおい、できるのか?お前に?俺は知ってるぞ。この女とお前が… 黙れ!この汚らわしい… ”そんな…酷い…” !? はははははは!この女の声を聞いただけで怯むか!脆弱なものだな! …貴様っ!  ガル・ヴィンランド…どうしたのですか…? アストラエアが目を覚ますと、大槌を持ち上げ、今にも振り下ろしそうなガルの姿が目に入る。 はっ! 握りしめたブラムドを背後に投げ落とし、咄嗟にアストラエアを抱きしめるガル・ヴィンランド。 い…いったいどうしたというのですか!? 当惑するアストラエア、それは、突然抱きしめられたからではない。 あのガル・ヴィンランドが、泣いていたからだ。 ガル・ヴィンランドは、その日、初めて泣いた。 肉の花が、その後の凄惨な運命を告げ知らせていたからだ。 この真実は今のところ、彼しか知らない。彼にしか、知らされていない。 その翌日、起こるはずのない陣痛が彼女を襲った。 原因は不明。だが、日に日に痛みは増し、ついに、彼女は隠れ蓑にしていた秘密の場所から一切動けなくなった。 そして___  い…痛い…あぁ、これは…血…? 彼女の恥部から脚に伝う大量の赤い液体、それは血液ではない。 以前二人が決死の思いで倒したあの怪物が、腐った肉から噴き出してたそれと、この液体は同質のものだった。否、恐らく、それ以上の… 酷い臭い…そんな…嫌…嫌っ! アストラエア様…! 秘密の場所は天幕によって遮られていたが、居てもたってもいられなくなったガル・ヴィンランドはついに約束を破り中へ踏み入れる。 いや…やめて…来ないでガル・ヴィンランド…こんな姿を、貴方にだけは… 彼女から流れ出た赤黒く腐ったドロドロの液体は、一つの河を形成していた。 それはやがて谷の水質と混ざり合い、ついに同じ液体となる。 これに触れた者はなんであれ、ありとあらゆる病にその身を侵され、そして必ず死に至る。 死にゆく谷の民達は、消えた聖女を求めて、死病を覚悟で彼女達の秘密の場所まで歩き続けた。 そして、全ての元凶を目の当たりにする。 た…助けて… …はい、わかりました。 癒しの光によって、既に異形と化しているかつての谷の民は満足気にその場を後にする。 だめだ…アストラエア様の奇跡は、魂こそ救えるものの、肉体を救うことができない… これでは、いつまでもいつまでも、彼らの肉は腐敗を続けることだろう… ガル・ヴィンランドは、最後まで彼女に真実を伝えなかった。 「貴方が、この谷を再び腐らせた元凶である」などと、言えるわけがない。 我が最愛なるアストラエアよ、すまない… 死ぬ間際の謝罪の意味を、彼女は知らない。 そう思えたことが、彼にとっての幸い。  ああ、あの人が斃れたのですね… 親愛なるガル…私は…本当は知っていました。 私が、この悲劇の元凶なのでしょう? でも、貴方の真摯さには抗えませんでした。 貴方の優しさは、最初に出会った時と、なんら変わらない。 私がこんな状態になっても、貴方の真摯さは全く変わることが無かった。 ありがとう…私も、逝きますから… 赦して…
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