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白刻駅
あなたは清月学園を知っているだろうか。
もしその呼び名に聞き覚えがなくとも、清陽学園と聞けばピンと来る人もいるかもしれない。
都会の進学校の一つ、清陽学園。
中高一貫校の私立学園で、進学率はそこそこ高い数値を毎年叩き出している。街の中心街にそびえる学校の規模は俗にいうマンモス校で、アクセスも良く、多くの生徒を抱えている、そんな学校なのである。
そんな清陽学園――の、妹分として近年作られた学校。それが清月学園だ。
だが清月学園と清陽学園では、大きな違いがあった。
なんといっても清月学園は立地がおかしい……いや、清陽学園とは大きく立地が異なっていたのだ。
都会のど真ん中、街の中心街。アクセスの良さと周囲の栄え具合が売りの清陽学園に対して、清月学園があるのは最終的に各駅停車しかなくなるようなド田舎の終着駅。更にその終着駅から登山道を上って30分などという場所に立つのが清陽学園なのだ。
勿論、ここに学校法人としての強い思いがあることは否定しない。
コンクリートジャングル溢れる都会の学校、清陽学園。
豊かな山々溢れる田舎の学校、清陽学園。
両極端の環境を用意することで、生徒一人一人の自主性に任せ、自身にとって最適な学習環境を選んでもらいたい。それが法人の願いでもあった。
だが考えてみてほしい。
中高という、貴重な6年間を過ごす場として、限界集落もかくやという場を選ぶ生徒に、一癖も二癖もないわけがない。
要するに、青春時代をそんな特殊な学校で過ごそうと考える人々の中には、得てして変わった人類というものが混ぜ込むことになってしまうのである。
そう、この生徒たちも……。
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がたん、ごとん、がたん、ごとん
静かな電車の揺れと、流れていく景色。5月という緑溢れかえる時期となれば、流れる山々の様子もさながらブロッコリーもかくやという様相だ。
ぼんやりと手元の本から顔をあげていた少女――朋子は、くわっとあくびをしながら、車窓の風景を眺めながらぼんやりと考える。
最も、学校そのものも山の上にあるのだから、ブロッコリーの山など学校であっても屋上にでも出れば即座に見える。そしてそれだけ木が生い茂るということは、通学路が毛虫だらけになるので、生徒らは少しだけ辟易する時期でもあるのだ。
そこまで思い出したところで、今日もうっかり毛虫を踏みつぶしてしまったスニーカーを床にすりつける。一応は近くの落ち葉で拭いては来たものの、一度思い出すとまだ汚れが着いているような気持ちになってくる。
はぁ、とため息を一つつき、鞄の中に本を片づけて周囲をぐるりと見渡す。一度集中が切れてしまった本は、なんとなくもう読み返す気にはなれなかった。
帰宅時間真っ只中の今は、まだ社会人の帰宅時間と比べると少し早い。
部活を推奨している学校ゆえ、帰宅部の帰る今の時間は学生も少なめだ。それでも清月学園の生徒、そして病院帰りか何かのお年寄り辺りで席は十分に埋まっているし、ちらほらと扉の前などでは、立っている生徒たちもいるようだ。
ところで「乗車率」というのは、どこを指して言葉なのだろう。
多分、座席の埋まり具合を指しての言葉なんだろうなとは、想像で勝手に思っている。そうでなければ通勤時の乗車率200%というのはあり得ないだろう。
もし車内に乗れる限界値を100%とするのであれば、半分の人間が乗れていない計算になる。溢れている残りの人間は電車に乗り切れず、わらわらと閉まり切らない扉から外に落ちて、それで――
「ともちゃん、なにわらってんの~?」
「あ……、すまん」
つい脳内で、溢れる人間を放置して発射する電車を想像しては、無意識に笑ってしまっていたようだ。隣から先ほどまで寝ていた少女――多希が、眠たそうに眼をこすりつつ不思議そうに尋ねてくる。
多希は小学校からの幼馴染で、今も同じ中学校に通う友達だ。
特別仲が良いかは分からない。だが同じ中学に受験し、同じクラスで過ごし、同じようにつるんで過ごしている辺り、付き合いの長い相手というのが、一番しっくりくる。
特別ずっと一緒にいるわけではないが、特に理由がなくともなんとなく過ごせる辺り気は合っているのだとは思う。多分、多希も同じようなものだろう。多分だけど。
基本的に多希は電車に乗ると即根をするタイプだが、今日は朋子の気配で起きたのだろう。
電車に乗ると即座に寝るわりに、即座に目も覚めるのは一種のショートスリーパーというやつなんだろうか。だとすれば、いつも眠そうなのもなんとなくは理解できるとは思う。
最も、だからといって授業中、隣の席で寝ないでほしいのだけれど。
『ご乗車、ありがとうございます。次は~、白刻(しらとき)、白刻(しらとき)でございます。お降りの方は~、右側扉からお降りください』
「……ん?」
不意に流れてきた車内アナウンス。
それは良い。別段変わりないいつものことでしかない。
だが朋子はそれとは関係なく、多希の隣の席に座っていた少女が迷いなく立ち上がったことに、疑問符を覚えた。
「どうしたのともちゃん?」
「あ、えっと」
不思議そうな多希を置いて、思わず変な声が漏れる。
その少女は、全く見知らぬ美人ではない。直接話したことはほとんどないけれど、一応は顔見知りの美人、というかフツーに綺麗な顔をしているだけのクラスメイトだ。
多分? 名前は永田つばさ、さん。
天然物ってあんな人を言うんだなという感じの、黒髪ストレートの美人さんで、あまり仲の良い人はいない。朋子もプリントを回すのとノートを回収するぐらいでしか話したことはない相手だ。
そんな関係性の朋子が今、何故永田さんを気にしているか。
――確か永田さんの最寄り駅、オレの次の駅じゃなかったっけ?
「あのっ!」
それはほとんど無意識の行動だった。
歩きかけていた永田さんの手首を、がしっと掴む。突然のことでびくっとした永田さんだったが、それでもこちらを認識してはくれたようだ。不審な顔をしてこない辺り、一応はクラスメイトだからと朋子らのことも知っていたのかもしれない。
「おま……、き……、あな……っ」
「?」
永田さんがきょとんとした顔でこちらを見ているが、朋子とて割と精一杯だったのだ。
普段は相手に対して「お前」呼びが多いことは朋子とて自覚しているが、流石にそれほど親しくない相手に「お前」呼びは失礼だろう。だが「君」なんていうタイプの性格ではないし、「あなた」は他人行儀な気もする。
悩みまくっているうちに、結局出てきた言葉は、あまりに普通の呼びかけだった。
「っ、永田さんは、降りる駅、オレの次の駅じゃなかったっけ?」
けれどなんとか絞り出せた言葉と同時に、話してからなんて馬鹿なことを聞いてしまったのかと、なんだか恥ずかしくなる。
永田さんとは別に親しくもなんともない。ただ降りる駅が近いだけの、同じクラスの女子というだけだ。
もしかすると知らないだけで、親戚の家がこの近くにあるのかもしれない。いや、単純に用事があったのかもしれない。別段、まっすぐ帰らない理由だなんて、いくらでもあったことだろう。
そこまで思い至ったところで、なんとも居心地の悪い恥ずかしさが、一気に全身を血流と一緒に駆け巡っていく。本当に、柄にもないことなんてするものではない。
「……ちょうどいい」
――だが、柄にもないことをする時ほど、状況というのは変化するものなのだ。
「へ?」
振り返った永田さんが一度こちらの掴んでいた手を振り払い、逆に朋子の手を取る。
いや、手を取るなんてかわいらしいものではない。結構な力で手首を握りこんで、更にぐいぐいと引っ張っていくのだ。
向かう先は、たった今停車したばかりの駅。
「いや、ちょっ!?」
「大丈夫だ。私に任せろ」
「いや、何について!?」
つっこみを入れている間にも、永田さんの力は強い。
この美人のどこにそんな力が隠れていたとばかりに連れられ、いつの間にか足はホームに踏み出していた。
「え? え? ともちゃん? どういう状況?」
「多希! オレのかばん持って来てくれ!」
大あくびをした多希を呼びつけながら、俺は永田さんに連れられるがままに駅へと降り立つ。
本当に、急にどうなった!?
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