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「あのー……、永田サン?」
「つばさでいい」
「あ、うん。つばさ、さん?」
「つばさでいい」
「……つばさ」
「なんだ?」
なんだ、ではないだろう。むしろそう聞きたいのは朋子の方だ。
だが心の中で思ったところで、実際に言葉に出すことはない。流石にほとんど面識のないクラスメイト相手に、そこまで不躾な言葉をぶつけるつもりはない。まぁ、その理論で言うとそんな「ほとんど面識のないクラスメイト」相手に、呼び捨てを強要されるのも変な気はするのだけれど。
あれから、何の事情も分からず途中下車をし、三人一行は歩き続けている。
どこに行くかも不明なままだし、そもそもここがどこかもほとんど分かっていない。
勢いのまま流されてきた朋子は勿論のことながら、呼ばれただけの多希に至っては未だに状況の理解自体まるでしていないだろう。その割に振り返れば大あくびをしているのだから、こいつは結構大物だ。
はぁ、とため息をつきながら周囲を見渡す。
なんというか学校最寄り駅の月影駅も大概だが、この白刻駅も十分に田舎である。
なんなら月影は学校といくらかの集落があるおかげで、多少なりとも栄えている部分はある。そうでなければ、あんな大型ショッピングモールも点在していないことだろう。
だがここは違う。
なんというか、単純に田舎を通り越して山間の里と言っても良い。
今歩いている道も、駅から少し離れただけだというのに、通学路と張れるだけの登山道なのだから。
「朋子」
「は、はい?」
不意に名前を呼ばれて、声が裏返る。
っていうか、この子はよく朋子の名前を知っていたものだ。そこにまずびっくりする。
勿論朋子の方は少女――つばさの名前は知っていたものの、それはつばさがクラスでも目を引くほどに美人で目立つ存在だからだ。
それに比べて朋子はクラスでも目立たない、平凡なだけの人間であると言っていい。そんな中でこのつばさが朋子(ひいては多希?)の名前を知っていたのは、そこそこ驚きを隠せなかった。
「何か聞きたいことがあって呼んだのでは?」
それでもつばさは、こちらの驚きなどまるで気にしてないらしい。
いまいち内心の読めない無表情のまま、歩きは止まらず話し続ける。それでもそこから無言を通している限り、朋子の返事を待ってはいるらしい。
「……あの、ここは?」
とりあえず、浮かんだ疑問をまずぶつける。
するとつばさは得心のいったとばかりに「あぁ」と声を漏らした。
「そういえば説明がまだだったな」
うんうん、と一人納得した様子のつばさは、ようやく合点がいったとでも言いたげな様子だ。その勢いのまま、ばっと背負ったままだった学生鞄を下ろし、中から出てきたのは―――ガイドブック?
「ここは白刻駅。我々の通学路、鳥の小町線の田舎最終駅から数えて5番目の駅だな」
都心の最終駅と区別したかったのだろうが、田舎最終駅と言い切ってしまうのは、それは良いのだろうか。いや、確かに田舎だけれど、今の発言が田舎差別だとか都会人の驕りだとか、差別を生まないかが心配である。
「ここは見ての通り豊かな山間の里を残している、都会からも電車で1時間半で来れる絶妙な観光地だ。山には登山道が整備されており、初心者の方から上級者まで、様々なハイキングができるのも特色だ。まぁ今歩いているのは、わりと初心者向けのコースではあるがな」
「はぁ……」
「そしてこの山での目玉、もといこの山一番の観光スポットは駅の名前にもなっている『白刻の滝』だ」
「あ~、それ滝の名前だったんだ~」
ふわぁとあくびをしながら、多希がのったりのったりとついてくる。
こいつは本当に主体性があるのかないのか分からない。聞いていないような顔をしておきながら、案外と今のように聞いていることだってある。先ほどまで無言だったから興味もないのかと思っていたが、流石に今の意味の分からない状態に対して思うところはあるのだろうか。
そんな中でも、つばさの説明は続く。
「白刻の名前の由来は、その滝の形状そのものだそうだ。激しい瀑布は幾つもの白い線を生み出し、それが時の流れと例えられた……、と書いてある。水は形状も定まらないところが、より時という不変でありながら姿のないものにつなげやすかったのだろうな。ちなみに豆知識。白刻と名前が似ている白滝についてだが、私は甘辛く煮込んだ物が好きだ」
へぇ、そうなんだ、と納得しかけたのが一瞬。
まるで辞書でも読み上げるようにすらすらと口を出る説明に、まぁ多少なりとも感心こそする。あとここがどこなのかは分かったので、それは良しとしよう。ちなみに朋子自身は甘辛く煮込んだ白滝より、白だしで煮込んだおでんの白滝が一番好きだったりする。
駅の説明は分かった。問題は更にもう一歩。
「なんでオレたちはここに?」
そう、一番聞きたいのはそこである。
なんか観光的な場所に連れられたのは分かったが、問題はいきなり手を取られて連れられたことの方なのだ。よっぽど白刻の滝に、何かがあるのだろうか?
「……?」
ぴたり、とつばさの足が止まり背後の朋子らの方に振り返る。
その表情はきょとんとしており、まるで朋子の方がおかしなことを聞いてしまったかのような態度だ。
「あの、つ、つばさ……?」
「なんだ?」
「つばさ……、は、なんかこの駅に用事でも?」
「いや、ないが?」
ないんかい!
喉まででかかったツッコミを口にしなかっただけ、朋子は偉かったと思う。
しかしそれならそれで、謎は残る。
白刻の滝と言うのは、まぁ気にならなくはない。学校の帰り道の途中で、そんな隠れた観光名所が存在していたなど、実のところ初めて知った。
日常的に使う路線ではあるが、智子はこの路線について深く考えた事はなかった。説明を聞くと、その白刻の滝というものが気になってくるのが人間の性というものだ。
だがそれは、あくまで結果論としての話である。
今、朋子が知りたいのは、冒頭のいつも一択なのだから。
「??」
「だから不思議そうな顔すんなって! いや、なんで? オレ、ここにいんの? いや、本当マジで」
「……用事がないのは本当だ。別段ここで降りなければいけない事情もない」
そこで一度言葉を切り、つばさはまたくるりと前を向く。そのまま再び歩き出すのだから、本当に意味が分からない。
こいつ、美人ではあるけれどコミュニケーション能力が死んでるんじゃないかと思えてくる。これが演劇であれば、大げさに頭を抱えていたことだろう。
まだ朋子の質問には答えてもらってないのに、けれどもう話すことはないと言いたいのだろう。迷いないつばさの歩みに、朋子もまた後を追うことしかできない。
「ちょっ! 待てよ!」
「だが、だからといってだ。降りてはいけない理由があるわけでもない」
「はぁ?」
歩みは止めないまま、つばさは首だけで二人の様子を窺う。
その顔はとても綺麗な、美人のすごみもかくやという笑みなわけで。
「さぁ、白刻の滝はもうすぐだ」
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