白刻駅

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あれから、少し急になってきたハイキングコースを歩き続けて15分ほど。 少し前に「白刻の滝」という看板が出てきた辺り、きっともうすぐなのだろう。 森が深くなっていくにあたって、あれだけ不信感にあふれていた朋子の心も、少しずつ浮き足立ってくるのを感じる。 朋子とて、わざわざ清月学園を受験に選ぶ程度には山だのなんだの自然は好きなのだ。そうでなければ、清陽学園でも受けていればいい。 最も、朋子にそこまで清月学園を受けた確かな理由もなく、「オープンキャンパスに行って、雰囲気が気に入った」が全てなので偉そうなことは言えないのだけれど。 閑話休題。 朋子とて自然は嫌いではないし、なんなら好きか嫌いで言うと断然好きに意識が傾く。 ガイドブックに載るほどの雄大な滝だというのならば、一度は拝んでやりたいものだ。 ――そう思ったことを、朋子はわずか数分後に考え直すことになるのも知らずに 「このルートをあとはまっすぐ行けば、もうすぐ白刻の滝だ」 舗装されたハイキングコースは、ここでいったん終わりのようだ。綺麗に整えられた道を外れ、歩きやすそうな獣道を三人一列になって足を進める。 獣道の時点で「歩きやすい」とは程遠い道ではないかと思うが、それ以外の呼び名が思いつかないのだか仕方ない。 それに獣道は生き物が踏み固めて通り続けることによってできる。人間も生物の一つだと考えるなら、人間の作った道も獣道と言えなくもないかもしれないし、人の作った物が人に適しているのは当然のことだ。知らんけど。 獣道に入ると、段々水の音も音を増してくる。眼下に広がる川も水量を増してきたことだし、白刻の滝も近いに違いない。 そうこうしているうちに、木で作られたであろう、腐りかけの階段が出てきた。これで滝の方まで降りられるようだ。 そこで見た景色は―― 「おぉ……」 白く雄大な滝。 ごうごうと溢れる水量。圧倒的な迫力。 「ああああああああああ!」 そして、流れる滝に打たれる絶叫している少年。 ・ ・ ・ 「うん、アグレッシブな少年がいることだ」 「いや、毎回いるわけではないだろう」 冷静なつばさのツッコミだが、それは言われなくても分かっている。逆に毎回あんなクレイジーな少年がいたとすれば、そっちの方が気になる。 そもそもの話、あの滝の中はどう見ても立ち入り禁止だろう。なんか滝の上の方にしめ縄も張っているし、知らないだけで何かの神様とか祭っているのかもしれない。 そんな中、あのしめ縄にも気づかず突撃していったのであれば、とんだ勇気のある少年だ。 仮にガードマンの1人でもいたのであれば、速攻で停められていたことだろう。 「ねぇ、どうする?」 「は? まさかと思うが、お前話しかけに行くつもりか?」 「え? まさか話しかけないつもりだったの?」 きょとんとした顔で、後方から問いかけてくる多希に、瞬間的に頭が痛くなる。 こういうところ、いくら幼馴染とは言え、頭おかしいんじゃねーのと思ってしまう。 よく言えばその場の勢い、悪く言えば堂々としているこの態度。 いや、何一つ誉め言葉の部分はなかった。そう考えると、どうして多希と友達で入れるのかが分からなくなってきた。 「……とりあえず、風邪ひくよな」 別に川の水を触ったわけではないけれど、どう見てもこんな澄んだ綺麗な水なのだから絶対冷たいに決まっている。そんな中、あの瀑布にあてられ続けたら絶対に風邪をひくこと間違いなしだ。なんならその前に、冷たさのショックで気絶しないかも不安でもある。 だが、こっからどうするかである。 件の少年は未だに絶叫で意識を保ちながら滝行をしている辺り、多分こちらに気づいていない。流石にこちらとしても、ざぶざぶ川に入って少年を止めに行くのは流石に嫌だ。こちとら着替えもタオルも持って来てはいないのだから。 さてどうするべきか。 「どうしたー! 少年―!」 「って、おい!」 だがそんな朋子の内心の迷いすらも、隣のつばさは軽々と乗り越えてくれる。 つばさも大概勇気溢れるというか、遠慮の知らない人間なのか。流石に川にこそ入りはしない物の、結構な声量で未だ滝に打たれ続ける少年に声をかける。 「少年ー! 何をしてるのかー! 教えてくれないかー!」 その問いかけは本当に正しいのだろうか。 こんな声掛けをしてくる人間、怪しい人以外の何物でもなさそうだし、なんなら少年だってこんなことを聞かれても困るだろう。 「滝に! 打たれてます!!」 よかった。想像以上に素直な少年だ。だが素直な少年は応答してくれてこそいるが、違う。そうじゃない。 別に滝に打たれていることぐらい、見て分かるのだ。 問題は「なぜ」という部分であり、必要なのは因果関係の部分だ。 「とりあえずーっ! 風邪ひいちゃうからーっ! 一回おいでーっ!」 援護射撃のような多希の声に、少年もようやく気持ちが変わったのだろう。もしくはやたらかけられる二人の声に、面倒になってきただけか。 少しだけ考え込むような無言が続きつつ、不意にざばりと水音が跳ねる。続いて滝から離れ、少年はざばざばと岸辺に歩いてきた。 滝から離れたことで、少年の姿がはっきりと見える。 トランクス一丁の少年は、少年というにも幼い子どもだった。 精々が小学3年生であればいい方か。小柄で小さなその体躯は、先ほどまであのでかい滝に打たれていたとは思えない。よくぞ水圧に押しつぶされなかったものだ。 「……おねーさん。なに」 不信感こそ眼に宿りつつ、けれど少年の身体はやはり限界一歩手前だったようだ。 睨みつけてくる眼だけは元気な物の、唇は青紫色に変色し、身体もがたがたと震えている。本当に多希の言う通り、あのままで風邪を引いて……、いや風邪を引く程度では留まらなかったことだろう。よくぞ冷たさとかその他諸々でショック死をしなかったものだ。 そんな少年の様子を見て、つばさは鞄からハンカチを取り出すと、それを少年に「使え」と手渡した。 つばさ。その親切心や優しいとは思う。 けれど全身ずぶぬれの相手に対してそのハンカチは、面積が少なすぎるとも思う。 「……ありがとう」 少年も少し感じるものがあったようだ。いや、少年だけでなく、多分つばさ以外の全員がそれはあった。 それでも他人の親切は無下にできないと判断したのか。小さな声でお礼を言いつつ、全然面積の足りていないハンカチで顔面を拭く。 その後、少し迷った後にぎゅっと力いっぱい絞って、次に頭。身体をざっと拭き続けていく。そうしている間に少しは気化熱もマシになったようだった。 「……これ」 「やる。洗濯して大事に使ってくれ」 「……ありがとう?」 「どういたしまして」 少年は貰ってしまったハンカチを悩んで地面に一度置き、岩陰に置かれていた着替えへと近づく。パンイチでいつまでもいるのは失礼と思ったのか、それとも寒かったからなのかは分からない。 「しょーねんって、どうして滝行なんてしてたのー?」 ごそごそと衣服を身にまとう少年の後ろ姿に多希が問いかける。少年の表情は変わらないまま、けれどいっぱいの無言の後に口を開いた。 「……母さんの病気を治すため」 うん、分からない。何がどうして滝行が母親の病気快癒に関係するというのか。 「友達が言ってた。白刻の滝で3時間滝に打たれたら、どんな願いも一つ叶うんだって」 ぱんっ、とシャツを伸ばして裾を整えながら、少年は至極真面目だ。 だが少年よ。その友達とは、今後付き合い方を考えた方が良いだろう。どこでそんなガセ情報を、その友達が知りえたのかも分からないが。 そんな思いが朋子の表情に出ていたのかもしれない。 少年はむっとしたように唇を尖らせ、ぷいっと横を向く。 「あんたなんかに俺の気持ちは分かんないだろ」 「はぁ?」 「家族が病気とか、絶ッ対したことなさそうな顔してる!」 「あぁ……?」 吐き捨てるような言葉に、少しだけむっとする気持ちが湧いてくる。 確かに分かるわけがない。朋子の両親は健在だし、そもそも初対面の少年相手にそこまで感情移入できるわけもない。 精々が「気の毒だなぁ」という感情。「それはそれとして、危ない真似はしない方が良いんじゃないか」という思いだけだ。 でもきっと少年はそんなことを言っても、頑固に拍車をかけるだけだろう。それぐらいを分かる程度には朋子も大人だと言っていい。 だが「そんな言い方しなくてもいいだろう」と考えるぐらいには、まだまだ子供なのだ。 「特別なことではないだろ」 ふと、流れを遮るようにつばさが言葉を挟む。 少年の顔が瞬間的に強張る――と同時に、少年のこぶしが強く握られるのは目に見えた。 あれは苛立っている。子供相手に何言っているんだと思わずため息をつきたくなる。 つばさはあれか。子供相手でも容赦なく、つい正論を突きつけてしまうタイプなのだろうか。だとしたら、流石に少年がかわいそう―― 「家族に何かあることぐらい、特別なことではない」 続く言葉はけれど、どこか遠くを見る目が重ねられている。 まさかつばさって、片親とかなのか……? もしくは両親のどちらかが、この少年と同じように病気だとか……? 「……あのさ、つばさ」 一度考え始めてしまうと、悪い想像は止まらなくなる。 もしそうだとしたら、少年の言葉に対する言葉としては適切かもしれないけど、唐突に突きつけられた朋子には荷が重い。あんまり親しくない人達の集まったこの空間で、急にそんなプライベートな話で溢れかえらせないでほしい。 「特別なことではないが、自分にとって特別なことでもある」 「……おねーさんにも、あるわけ」 「あるな。特別ではないが、私にとって特別なことは」 「……ふーん」 更に続く言葉に、少年もなんかしら思うところあったのだろう。目を一度ぱちくりとしながら、目を伏せてぐっと髪を払う。 その様子を見てか、つばさはまた一枚ハンカチを差し出す。何枚持っているんだ。 「でも滝に打たれるのはやめた方が良いぞ。単純に安全上の問題があるからな」 つばさの言うことも最もだ。 少年もそれが分かっているのだろう。少しだけ気恥ずかしそうに頭をかきながら、こくりと頷いた。
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