天野が浜駅

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「で、ここは?」 「天野が浜駅だ」 知ってる、と口に出かけた言葉は、呆れと共に飲み込む。 なんなら後ろの駅名標にも書いていたし、さっきの放送でも言っていた。そもそも、流石に毎日通い続けている路線の駅名ぐらい、暗唱は無理でもなんとなくは覚えている。 問題はこの駅がどこで、今から何をしに行こうとしているのかが問題なのだ。 だがそんな朋子の様子に、つばさも気づいているのだろう。 つばさは察しが悪いわけではない。なんなら人の機微自体は、最低限は読めるのだろう。問題はそれに対する反応が独特なだけなのだ。 つばさは駅で回収していたパンフレットを広げているが、絶対にスマホで調べない辺り、まさかスマホを持っていないのだろうか? そういえば距離をぐいぐいと詰めてくるつばさだが、思えば連絡先の交換はまだだ。 こいつの性格上、こうと決めたら速攻連絡先交換のLINEアドレス交換、そこからのインスタ交換にDM爆撃ぐらいは想定していたものの、案外とそんな事態には陥っていない。 最も、インスタに関しては朋子も情報収集程度のROM専でしかやっていないので提案されても困るのだけれど。 ちなみに多希はこう見えて、投稿こそはしていない物の、最低限クラスメイトに聞かれたら教える程度には使っているらしい。 「歩きながら説明をする流れで良いか?」 「良いよー。ただしこけないでねー」 荷物をようやっと背負いなおした多希が、周囲をきょろきょろとしながら答える。興味津々な姿は、やっぱり多希らしいというかなんというか。 なんとかドアに挟まれずに降りられたことに安堵している朋子に比べて、新しいことに対する順応性が高すぎるだろう。 「ここは天野が浜」 つばさは抱えた鞄はそのまま、パンフレットを指差しながら答える。地方の市役所などにおいてそうなパンフレットには、おそらくここの地域のマスコットキャラクターやら星のマークやらが無秩序に飛んでいる。どう見ても素人がパソコンで手作り感満載なパンフレットには、こまやかな字がみっちり詰まっている。 「昔はここら一帯が天然の砂浜ということもあり、海で泳ぐぐらいしか能がない地域だったらしい。それもあり、夏季はともかく冬季などは人気のない寂しい廃墟同然だったそうだ」 いや、廃墟って人間が住んでた痕跡あってこその廃墟なんじゃねぇの、とは思うがまぁ分からなくもない。だがより正確に言えば、それはただの更地ではないのだろうか。 「そうして何もない海では、星がよく見えたらしい。こんな低地の海だというのに、それこそ天の大地だと言わんばかりの星がな」 「それで天野が浜?」 「そうだ。天の野原と言うほどの星空きらめく、そんな浜だったからこその名前の由来だ」 天の野原、か。 なんともロマンチックな響きに、言葉だけではあるけれど、朋子は想像してみる。 穏やかで静かな黒い海。 そこに広がる空。 そこに境界線はなく、ただ足元意外は一面の星空が天も地もなく広がっている。そんな光景、天野が浜。それはなんだか、とてもとても魅力的に思える。 だがしかし、だ。 「なぁ、つばさ」 「なんだ?」 「今、何時?」 「14時だな」 「……星は?」 「昼間に見えるわけなかろう?」 何を当然、とばかりに首をかしげるつばさは、もう用済みとばかりにパンフレットを片づけ始めている。 うん、確かにそうだ。昼の海で星空なんか見えるわけがない。 「夏なんだから、海には行っとくべきだろうと思ってな」 なら、さっきの駅名解説の時間はなんだったんだ。 *  * 「いや、まぁあれは駅名の由来だからな」 「そりゃそうだけど。でもあそこまで言われたら、気になるじゃねぇか」 「ともちゃん、ともちゃん。たとえ夜でもこの現代社会で、満点の星空は無理じゃない?」 多希の冷静なつっこみに、ぐっと喉が鳴る。 まぁ冷静に考えたらそうだ。 都会から割と離れている天野が浜駅ではあるが、裏を返せば都会まで電車一本で行ける場所なのだ。 今歩いている場所も、ぎゅうぎゅうにひしめきあってこそはいないが、普通の住宅街。街燈だって普通に配置されているし、多希のいう通り、現代社会で真の「天野が浜」は見ることはできないだろう。 まぁ百人一首の高師浜も、今や工場地帯に生まれ変わっていると聞くし、時代なんてそんなものだ。 一人諦観の思いを抱えながら、足元のコンクリート片を溝に蹴とばしながら、朋子は顔を上げる。 今、歩いている場所は、前述の通りの住宅街だ。だが結構な田舎ではあるのか、畑で家の距離はまばらではあるし、先ほどから全然人にすれ違わない。 確かに平日金曜の真昼間に人が出歩いている方がおかしいのかもしれないけど、別に平日だって休日の人はいるだろう。最も、ここにはそんな全人口からすれば少数派の人が更に少ない地域というだけかもしれないけれど。 「……で、天野が浜には今何があるんだ?」 てくてくと変わり映えしない景色にも飽きてきて、朋子が問いかける。つばさはふむ、と顎に手を当てて考え込み、そこからまた滔々と語りだす。 「そうだな。まず浜辺はあるな。今は平日だし時期的にも少し早いが、夏休み頃には人がごった返しの芋煮込み並みに来るだろうよ」 「お前、海水浴客になんか恨みでもあんの?」 「その関係で、海の家なんかは配置されているな。だが海とその関係以外は普通の田舎な住宅街だ。ベッドタウンとして開発もされていないし、そんなに漁が盛んな地域でもない」 「釣りはできるのー?」 「あんなの工業地帯の海でもできるならのだから、とりあえず水さえあればどこでもできるだろ」 「つばさ、最早なんか海に恨みでもあんの?」 住宅街を越えると、今度は両脇を林に囲まれた道路に入る。 鬱蒼というほどではないにせよ、あまり管理されていない林だ。だがその分、葉が生い茂っており、良い感じに道路に日陰を作ってくれる。朋子は額を軽く手の甲でぬぐいながら、鞄を持ちなおす。 そこからは、特筆するようなことはあまりない時間だった。 つばさも話の種が尽きたのか、無言で歩いているし、つばさが黙ると特に二人も話すことはなくなる。朋子もせいぜいが、今鳴いているセミが果たしてクマゼミなのかアブラゼミなのか、もしくは全然違うセミなのかと悠長なことを考え始めていたぐらいだ。 だからこそだった。 「おっ」 林を抜けた先で急に開けた視界に、わっと声が出たのは。
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