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「たまにはねー、自然と触れ合わなきゃ駄目よー。こんな所に籠もってるから、仕事に疑問を持って壁に突き当たったり、五月病になったりしちゃうのよ。雑用でも会社がお金払ってるんだから、ちゃんと価値がある仕事だって開き直ってればいいのよー。どうせまだ右も左もわからないんだから。さっきもなんかそんなこと相談してたっぽいじゃない」
地獄耳だ。そんな深刻な話でもなかったのだが。
すると、横から別の先輩従業員が口を挟んだ。
「笹原くん、行ってきなよ。植村さんは、新人さんを地域の行事に誘うのが好きなのよ。今年の新入社員笹原くんだけなんだから。あたしもおととし行かされたし」
行った、ではなく、行かされた、という所に逃れられないものを感じ取った。別にそれほど嫌ではないことも後押しした。だから、流されるままウォークラリーに参加することにした。
そして、すぐに流されたことを後悔するはめになる。
すっかりすっきり、きれいさっぱり忘れていた。その娘が目の前にいた。
そうだった、そうだっただろ、俺!植村さんの娘さん見て、あのセーラーが中学の制服だって覚えたんだろうがっ。
ウォークラリー当日の朝、わりと気合を入れてジャージまで着てきた自分に嫌気がさした。
植村の娘さんと、その他女の友達が三人。皆Tシャツにジーパンという出で立ちだ。いかにも健康そうに笑いながら立つその中に、鑁阿寺で会った彼女がいた。着ている物はセーラーではなく、黒地に金文字で「牛タン」と大書された妙なTシャツだったが、間違いなく彼女だ。
どう接したらよいか全くわからない。だから、彼女からは微妙に目を逸らした。
「わーい、かなちゃんのお母さん、今年はイケメン連れてきたじゃーん」
その台詞で、植村の恒例行事だという事が裏づけされた。イケメンかどうかは不明だが。
「笹原佑一と言います。よろしく」と生真面目に自己紹介をする。この状況でくだけろと言う方が無理だ。相手の出方を待つ。
きゃっきゃと騒ぐ子供達も、順々に自己紹介を始めた。そして、最後に、彼女の番が回ってきた。
「はじめまして」
そう、言った。にこにことなんの屈託もなく。
「北条ひなたって言います。ひなたはひらがなでーす。ひなちゃんって呼んでね」
「なーにが、ひなちゃんだよ、全くこの女はー」
友達同士、憎まれ口を叩きあいながら楽しそうにじゃれあっている。
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