神助け

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 なんのことかわからず、首を傾げる。それをどう取ったのか、彼女は腕組をして少し考え込んでもう一度数字を弾き出した。 「応相談で百万までならお出しします。それ以上は無理です。年齢詐称して、ホストクラブにでも通った方が早いもの」  そう言いながらスカートのポケットをごそごそあさる。出てきた手には、デザインの違う通帳が十冊ほど。適当にその一番上の通帳を開く。  何気なく覗き込んで息が止まった。  ケタが違った。初任給もまだで百万も貯まっていない笹原の通帳と。二桁くらい。  頭が真っ白になった。 「お前……」  しばらく口をぱくぱくさせてから、やっとの思いで声を振り絞った。 「本気で言ってるんでしょうか」  何故か敬語になってしまった。 「本気です」  彼女の顔はいたって大真面目だ。 「そうですか、そうですか。それでは、俺はこれで失礼いたします」  頭を下げる。そして、頭を上げないまま回れ右をし、脱兎の如く。  その場から逃げた。  少し迷いつつ皆のもとに戻ると、先輩に「全然御堂の横じゃなかったぞ。あやうく漏らすところだったじゃないか」と半泣きされた。  翌日はいつになく真剣に仕事に取り組んだ。いつもは真剣じゃないのか、と言われると、返答に窮する。 本日の午前の仕事は、単なる社内研修の資料作りだ。内容を作っているのではない。配布用の冊子の製本という単純作業だ。コピー機のソーター機能とステープル機能が故障中のため、小学校の文集のように全て手作業だ。 昨日はお取引先の方々との懇親会で使う、ビンゴゲームの景品の買出しと包装をしていた。今日の午後は何をするのか、まだ知らされていない。 ここは情報システム系の会社だよな。でもそれらしい仕事は今まで何ひとつしていない。大卒で管理職候補として採用されたのだが、最初はこんなものだろうか。それもそうか、電算、工学系の学部にいて専門職のスペシャリストとして採用されたわけではない。経済学部だったのだから。ただ、単純作業に入社後すぐに嫌気がさしかけて来ていたのは事実だった。  だが今日はそんなことは気にならない。集中していないと、あの預金通帳を思い出してしまう。無心に手を動かす。人間、真面目に堅実に生きるのが一番だ。 「おっ、速いな」  後ろを通りかかった先輩が声を掛けた。笹原はちょうど資料の左上にホッチキスをとめていた。
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