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大学を卒業してすぐに入った システム開発の職場を5年でリストラされ、 失意の中、繋ぎで入ったコンビニのバイト。 苦手という理由で教育を避けてきた僕が、 1年経って初めて2人の大学生の面倒を 見ることになった。 1人は夕勤希望で、 明るく素直な働き者の佐橋雄大。 遠くの大学に通っているために、 ここに時間通りに帰れずに たまに遅刻してくるのがネックだったが、 バイトに入れば接客態度はよく、 お客様のために自発的に行動でき、 新しいことを吸収する能力も高い、 得難い人材のひとりと評価できた。 そして、もう1人は。 「川瀬、言うこと聞いてよ」 「嫌です」 夜勤希望で、 僕と週3日コンビを組む、川瀬由貴。 平凡な外見の僕とは違い、 容姿端麗な川瀬は、 たぶんちやほやされるのに慣れていて、 僕のような情に流されないタイプは、 嫌いなんだろう。 出会った時から強気を貫くその態度に 終始振り回され、内心イライラしていた。 とはいえ神経質なくらい真面目な自分が、 彼と気が合わないという理由で、 投げ出すことはできなかった。 そして今夜は、何度目かの彼の尻拭い。 夜中、菓子の品出しをしていた彼が、 年配の酔っ払いに絡まれ(美形というのは、 同性にもちょっかいを出されるらしい)、 お尻を触られたと怒り狂い、 売り場の通路で一触即発寸前になったのだ。 それを僕が間に入り、 何とかその場を収めたのだが、 彼の怒りは止まることを知らず、 品出し作業を放棄。 裏の倉庫にタバコを吸いに行ってしまった。 「川瀬。いい加減、店に戻って」 「嫌です。機嫌、直りません」 「もうこれで何度目?僕とシフト一緒の日、 すんなり終わった試しがないじゃない」 「知りませんよ」 「キミ、職場を何だと思ってるの」 「岸野さんに言われたくありません」 ツンと横を向く彼の姿に僕は心底呆れ、 それ以上言葉を口にすることなく、 倉庫を後にした。 「すみません。店長。忙しかったですか」 店を開けたまま、 僕が外にいる彼を説得しに行けたのは、 近所に住む店長が急遽出勤して、 店番してくれていたからに他ならなかった。 「誰も来ないよ。こんな田舎コンビニ」 「店長が言っちゃ、ダメですって」 「岸野くんと佐橋くんくらいだよ。 ここで真面目に頑張ってくれる人は。 あとは、みんな手を抜いちゃってるし。 バイトの募集をかけても、 川瀬くんみたいな気まぐれクンしか来ない。 ホント、これからどうしたらいいのか」 「店畳むなんて言わないでくださいよ」 「はいはい」 店長は大きなあくびをして、 店に戻って来ない彼を怒ることもせず、 自宅に帰っていった。 やっぱり、履歴書を書いておくか。 月に24日程、夜勤シフトに入り、 食い繋ぐ生活に慣れてしまっていた。 まだ28歳だから再就職先はあるだろうが、 それでも行き先が決まらないうちに 放り出されるのは、マジでキツい。 店長さえもやる気がないし、 こんな職場は逃げ出した方がいいのかも。 それでも今夜は、やることがたくさんある。 溜息をつきながら、 彼が放棄した菓子の品出しの続きを 始めようとしたその時。 「岸野、さん」 彼が青白い顔をして、店に入ってきた。 「やっと戻ってきたね。おかえり」 つとめて優しく、彼に微笑みかけた。 「お菓子の品出し、する?」 「はい」 珍しい。 僕の言うことなんて、全然聞かない彼が。 「じゃあ僕は冷蔵庫に入って、 ペットボトル飲料のレイアウト、 変えちゃうね」 明け方は、チルド商品の品出しと おでんの仕込みが待っている。 「川瀬。忙しいけど、頑張ろうね」 「はい」 先輩の僕に刃向かったことを、 ちょっとは反省したのかな。 俯いていたので表情は見えなかったが、 彼は素直に返事をして、 お菓子の入ったカゴを持ち上げた。 上着を着て30分ほど冷蔵庫で作業をし、 売り場に戻った僕は、 売り場にもレジにも彼の姿がないことに 気づいて、蒼白した。 「川瀬っ」 慌てて、レジの後ろにある事務所のドアを 開けると、やはり彼の姿はなかった。 またタバコかと外に出て、倉庫に走った。 「ねえっ、いるんでしょ?」 倉庫の陰に向かってそう叫ぶと、 タバコを咥えた彼が顔を出した。 「川瀬‥‥職場放棄は勘弁してくれよ」 「さっき、店長に言われました。この店を 畳む時には真っ先にキミを切るって」 「だからって、こんなことを」 「岸野さん、いつも僕のことを下に見てる じゃないですか。そもそも、佐橋と違って 遅刻しないだけでも、評価に値するのでは? やる気のなくなる職場にちゃんと時間通りに 来る僕を」 「何言ってるの、当たり前じゃないか。 時間通りに仕事に来るのは」 「というか、みんな佐橋佐橋ってあいつの どこがそんなにいいんだよっ!あんな要領 いいだけの軽薄野郎のっ」 「えっ?!」 そう叫ぶ、彼の端正な顔が涙で歪んでいた。 「か、川瀬‥‥大丈夫??」 しゃがみ込んで顔を両手で覆った彼に続き、 彼の目線の高さまで膝を曲げた。 「とりあえず、僕は店に戻るから‥‥。 落ち着いたら、戻っておいで。待ってる。 店長の言ったことは、気にしなくていいよ。 川瀬は川瀬じゃん。一緒に頑張ろう」 口下手な僕の、精一杯の励ましだったが、 彼は涙で濡れた頬をそのままに顔を上げた。 「岸野さん」 「何?」 「佐橋が何で遅刻するか、わかりますか」 「大学からここまでが、遠いからでしょ」 「佐橋、わざと遅刻してるんです。 そうやっても謝れば許してくれるって、 知ってるから」 「嘘でしょ?」 「嘘じゃないです。あいつから聞きました。 僕は佐橋も、佐橋に騙されてる店長も、 岸野さんも大嫌いです」 「川瀬‥‥」 「店、戻ればいいんですよね?」 乱暴に涙を手のひらで拭き、 彼は立ち上がった。 「今夜はすみませんでした。 でももうこの職場は、今夜で辞めます」 「待ってよ」 彼の手首を掴み、引き留めた。 「今まで誤解しててごめん。川瀬。 辞めるのはちゃんと話し合ってからに しないか?」 「何を話すんですか?そもそも誰と?」 手を離してくださいと言葉を続けた彼に、 僕は彼の手首を更に強く掴んだ。 「嫌だ」 そう反発するのは、 彼の専売特許だったはずだが、 僕は彼とこのまま別れたくないと 思っていた。 引き留められるなら、どんなことでも。 そんなことを思ったから、魔が差した。 「あっ」 僕は彼の手首を自分の方に引き寄せると、 彼の右の耳たぶを軽く噛んでしまったのだ。 次の瞬間。 右の頬を彼に叩かれることになった。 「サイテー」 走って立ち去る彼の後ろ姿を見ながら、 彼に叩かれた頬の痛みを堪えた。 数日後。 彼が店を辞めたのを店長から聞いた僕は、 自己嫌悪に陥っていた。 傷ついていた彼に、 とどめを指した自分の言動を 1日も早く忘れるべきだと思った。 連絡先どころか、どこの大学かも知らない。 川瀬由貴という20歳の大学生は、 自分の人生にとって 大した位置にいる人ではない。 ところが自分の考えとは裏腹に、 日に日に彼が心の中で鮮明になっていく。 出逢った時から 強気な態度で僕を振り回し、 イライラさせた彼が、 あの夜、僕の前で泣き顔を見せた。 それは少し切なく、 とても愛おしい記憶に変わっていた。 彼のことを何も知らないことさえ、 微笑ましいものに思えていた。 教育係としての責任を感じているからとか 理由をつけて店長に訊けば、 彼の住所も電話番号も知ることはできるが、 何故かこのままでは終わらない、 縁は繋がると予感していた。 「おはようございます、岸野さん」 汗をかいた佐橋が、 時間ギリギリに店に飛び込んできた。 「すみません、電車乗り遅れました」 愛嬌のある佐橋の笑顔に、 一瞬、騙されてしまいそうだった。 彼の言ったことが本当なら、 何故そんなことをする必要があるのか。 嘘の嫌いな僕は、 意を決して佐橋に訊いてみることにした。 「それ、ホント?」 「え?」 「遅刻するの、わざとだったりしない?」 「まさか。岸野さん、疑ってるんですか」 佐橋の笑顔は変わらずそこにあり、 嘘をついている様子は微塵も感じなかった。 やっぱり、彼の出まかせか。 僕は潔く佐橋に謝ったが、佐橋が言った。 「もしかして、川瀬から何か訊いてます? あいつ、ずっと僕を敵視してたんで。 嘘をついて、ケムに巻いたんです。 遅刻はわざとだって。 でも、そんな訳ないじゃないですか。 岸野さんは、信じてくれますよね」 「‥‥ああ」 頷きながら、心は違うところにあった。 明るくて素直な佐橋と、 強気な一方、繊細な川瀬。 信じるべきなのは、いったいどっちだ‥‥? 夜勤が明け、店を出た僕は、 自転車置き場のところに 彼が佇んでいるのを見つけ、足を止めた。 「岸野さん」 軽く頭を下げ僕を見つめる彼に、 僕は言った。 「信じるべきなのは、川瀬。キミだった」 守ってあげられなくてごめん、と 言葉を続けると、彼はまた顔を歪ませた。 「信じてくれるんですか」 「うん。あと、先日は変なことをした。 ごめん」 「アレですか」 「うん、アレ」 「‥‥歩きながら、話しませんか」 「いいよ」 吹き荒れる北風が入らないように、 マフラーの先を固く結び、彼と歩き始めた。 「岸野さんのこと、好きだったんです」 狭い道幅の道路で、 軽自動車同士のすれ違いを避けながら、 彼がさらっと言ったものだから、 危うく聞き逃すところだった。 「川瀬」 「でも岸野さんは気づいてもくれなかった。 だからつい、反発するような真似をして」 「そうだったんだ‥‥」 路地裏にある小さな公園に足を踏み入れ、 彼と並んでベンチに座った。 「冷えますね」 ああ寒いと、 彼は手袋をした手を顔の前で擦り合わせた。 「ところで、アレは何だったんですか」 「アレね。自分でも、よくわからない」 「無責任ですよね」 「ごめん。でも、川瀬のこと好きだから」 「‥‥ホントですか?」 彼は瞬時に顔を赤らめ、微笑みを浮かべた。 「うん」 彼の右手を握り、繋ぎ合わせたまま、 コートのポケットに入れた。 「あったかい」 「川瀬」 「はい?」 「キミと付き合いたいって言ったら、 何て答えてくれる?」 一世一代と言ってもいいその告白は、 また彼が泣いて、円満な結果に終わった。 ホント泣き虫だなあと彼を抱き寄せると、 彼は満足そうに僕の胸の中で小さくなった。 強気な態度は、愛情の裏返し。 かわいい恋人の髪を撫でながら、 一緒に暮らそうよと言ったら、 彼はどうなっちゃうのかなと思った。
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