02

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――宿を見つけたライーザとアンナは、部屋へと入り、一晩休んでから国境を越えることにする。 これまで深い森を抜け、険しい峠を越えてきたせいで、歩くのに慣れないライーザの足は腫れ上がっていた。 その痛みで表情を歪めている彼女の足を手に取り、アンナは甲斐甲斐しくほぐしていく。 「お嬢さまをこのような目に遭わせてしまって……。無事に国を出ることができたら、いくらでも私をお恨みくださいませ」 アンナは瞳を潤ませながらそう言った。 ライーザは最初こそ髪を切られ、汚い格好をさせられたことを恨んだが、今ではもう気にしていなかった。 それはもう仕える必要もないのに、未だにこの侍女が自分に尽くしてくれているからだった。 ライーザの家は貴族としての地位を剝奪され、アンナにここまでしてもらえる義理はない。 その証拠に、彼女以外の使用人はもちろん婚約者にも捨てられたライーザは、父や母、兄や弟と同じように処刑されるのも待つ身だった。 だが、アンナはライーザを屋敷から連れ出し、こんな厄介事に自ら関わった。 感謝すればこそ恨むなどお門違いだと、ライーザは苦しいながらも彼女に恩しか感じていない。 「いくら恨まれようが、いくら嫌われようが、私は必ずお嬢さまを安全な場所に送り届けます」 アンナに足をほぐしてもらいながら、ライーザの頬が赤く染まっていく。 胸が熱くなる。 これまでにないほど心臓の鼓動が早くなっていく。 ライーザはこれまで経験したことない心の動きに戸惑いながら、アンナに問う。 「どうして、ここまでしてくれるの? 自分の身も危なくなるというのに……」 問われたアンナは、手を止めると、ライーザに目を合わせた。 潤んでいる瞳はそのままに、真っ直ぐに彼女のほうを見つめる。 見つめられたライーザは、さらに顔を赤くしてしまった。 「旦那さまは、親のいない私を引き取ってくださいました。命尽きるそのときまでお仕えさせてもらうつもりでしたが、ライーザお嬢さまの行くすえを託されたのです」 「そ、そんなことがあったの……」 無念にも処刑された父を想い、ライーザの表情が曇る。 アンナは再び彼女の足をほぐし始めると、言葉を続けた。 「出すぎたことですが、私は旦那さまのことを、ずっと父だと慕っていました。ですから、ライーザお嬢さまのことも妹のように思っていました。私にとってお嬢さまは、何よりも大事な家族です」 「ああ……アンナ……」 ライーザは言葉を発することができなかった。 涙が止まらず、嗚咽を吐きながら呻くことしかできない。 アンナはそんな彼女に微笑むと、そっとハンカチを出して彼女の目を拭った。 「お嬢さまのことは、私の命に代えてもお守りいたします」 ――そして夜が明け、料金と書置きを残してライーザとアンナは宿を後にした。 まだ薄暗い街中を抜けて外へと出る。 国境街から他国へ行く道はひとつしかなく、ふたりは警備兵たちが眠っている時間にそこへ向かおうとしていた。 幸いなことに関所のようなものはない。 変に警備兵に関わらなければ、簡単に国境を越えられるはずだ。 遠くから街を眺め、ライーザは思う。 他国へ移ったらアンナとふたり、どうやって暮らしていこうか。 何もできない自分は苦労をかけてしまうだろうが、これから色々と覚えて彼女の恩に報いたい。 いっそのこと本物の家族になって、何か商売でも始めるのもいいかもしれない。 そんな想像を膨らませていると、ライーザは思わず表情が緩んでいた。 「お、お嬢さま……」 すると、突然アンナが怯えながら声を発した。 ライーザが前を見ると、そこには長身の女――人食い鬼(オーグリス)グレース·ネバーフロストが立っている。 なぜこんな明け方に警備隊長がこんな場所にいるのだ。 しかも、たったひとりで警備兵も連れずに。 震えるライーザとアンナ。 グレースは、そんな彼女たちを見つけるとゆっくりと近づいて来る。 「ずいぶんと早い出発だな」 「おはようございます。警備隊長さまこそ、お早いですね。お、お仕事ですか?」 アンナはなんとか笑みを作って、グレースに答えた。 震える体を無理矢理に押さえつけ、目元と口角の筋肉を動かす。 一方で挨拶をされたグレースは、表情ひとつ変えずにいる。 「なあに、日課の散歩だよ。それよりも、私のことを知っているのか。君らとは、一度街ですれ違った程度だと思ったが」 「ええ、もちろんです。ご高名はかねがね伺っています。国境街の隊長さまは、中央でも有名な方ですから」 慇懃に返事をしたアンナ。 だがグレースの視線は、ライーザのほうへと向いていた。 話している相手はアンナだというのに、彼女はずっとその冷たい顔でライーザのことを見ている。 「そちらは君のご子息か。まるで女のような綺麗な顔をしているな」 アンナが何か言おうとする前に、グレースはライーザへと近づいた。 背の高い彼女が小柄なライーザの目に立つと、まるで見下ろしているかのような構図となる。 俯いているライーザは、ただ頭を下げた。 なるべく顔が見えないように、会釈して誤魔化そうとしたが、グレースはそんな彼女の顎を手で掴む。 「数日前に、国から報告があった。謀反人の娘が侍女と共に逃げだしたと。国を出るつもりなら必ずこの街に来るだろうから、必ず見つけて始末するようにと言われている」 顔を無理矢理に引き寄せられたライーザは、ただ震えるしかなかった。 アンナがふたりをなんとか引き離そうと近寄ってきたが――。 「ちょっと来てもらおうか」 グレースはライーザを見つめながら、一緒に来るようにと言った。
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