一、

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一、

 ときどき、なんですがね、私が見える、って人がいるんです。  あ、私は43の時に交通事故で死にましてね。今、27歳の彼女に憑いて11年目かな。交通事故からは48年経ったかんじです。  でも見た目は若いでしょう? 20歳ぐらいに? またまたぁ、それは言い過ぎですよ。……あ、なんにも言ってないですね。わかってます、わかってます。肉体は老いてガサガサになっても霊体は育ちきったところで止まっちゃうんですよ。  あ、3日ぐらい前かな、このカウンターの中ほどに2人で並んで酒飲んでた一人がね、何かすごく強気なことを長々と機関銃のような弁舌を奮ってたんですが、ちょっと言い回しを間違えて。それを連れの男に短く指摘されたら、まぁ、急に機嫌が悪くなって更に早口で言い訳を始めましてね。50過ぎのその男の霊体は小学生ぐらいにしか見えませんでしたよ。  いや、あなたはよく成長されてますね。いやいやお世辞じゃありませんて。いやホントに。  この方に憑かれてから長いんですか? あ、私はこの彼女に憑いてから11年で、ってさっき言いませんでした?  いや、いいですいいです。私の話なんてものは、ほんの数分間記憶するにも値しないんです。ね、こちらの彼の話に意識に集中してください。はいはい。  えー、銀座、とかありきたりな名前で呼ばれる大通りから一本外れた通りには、都心で繁盛していると評判の店に、見た目とか営業形態とかを似せた店舗が、種類趣向を少しずつ異にしながら軒を連ねている。  この酒場も、まぁ、お酒を飲むおじさんとかお兄さんとカウンターを挟んで話し相手になったり、一緒にカラオケとかしてくれる女の子がいる、っていう、わりと昔からある形態の、照明や会計は明るいめの店。  入り口の上の看板には『野うさぎ』と書いてある。  開店当時は『Wild Rabbit』と荒々しく書かれていたが、印象が悪くて客に寄り付いて貰えず、閉店の危機に寄り付かれたとかで、マスターは泣く泣く可愛らしい文字で上書きしてもらったらしい。  彼女の名前は吉田有希。この店ではヒロコと名乗って仕事をしている。いや、どうせならキャサリンとかジュディとか、もっとキラキラした名前にすればいいのにと、私は思うのだが、彼女にはそれなりの理由があるので、とくに口出しはしない。ーーって私、口出ししても聴こえないんですけどね。  ヒロコは、某大企業の社員で経理事務の仕事をしていた。が、ちょっとしたミスが原因で接客業務に異動になって、それがイヤで退職をしたのが25の頃。  自身を正しいと主張することが嫌いなので、窓口で自身の正当性を押しつけて怒鳴り散らすような客と話すことが大嫌いだった。 故にそもそも知らない人と話さなくてもいい経理業務を選択した。  否、昔から算数は得意ではなかったが、業務中であれば計算機は使い放題であり、あとは、その数字が何で、どのように動かすべきかを的確に理解していれば、おそらくは苦もなく熟せる業務だ、と踏んでいた。  が、仕事の落とし穴はどこにでも転がっている。現に3つほど穴があった。が、いまさらどうでもいい。  そしてイヤなお客様を受け付けて、激しいクレームと、上司からの執拗な厭味に甚だしい嫌悪と失望を覚えて、あっという間の退職劇であった。  で、学生の頃からの友人とヤケ酒をしに行ったとき、その友人と混み入った話をするうちに、じゃ、ここで働いてみるぅ? というお誘いを受けて、え、いいんですかぁ、と言って現在に至っている。  気がつけば身勝手な話しかしない酔ったオヤジの話相手の仕事をしている彼女だが、まぁ、嫌な客は、他の女の子も嫌な客だってわかってくれてるし、別にそいつの役に立たなきゃいけないわけでもない。それだから、あの会社の業務ほどの苦痛を感じないでいられる。  一緒になって酒を飲んでバカな話でもしていれば、スケベなおじさんたちは喜んでくれる。  おじさんたちのうちの誰か一人が喜んでくれたら、ヒロコも嬉しい。するとヒロコの霊体が少し育つ。  私はその様をただ眺めている。  お、初めてのお客様が来店されたようですよ。
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