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二、
タカアシガニがハサミの脚を折りたたむように、その男はカウンターに肘をついた。
私は、その男を見たことが無い。
50歳ぐらいに見えるその男の後ろには、人じゃないもの、が、憑いていた。
「いらっしゃいませぇ」
ヒロコはおしぼりを広げて手渡しながら儀礼的に笑いかける。
男も僅かばかりの笑みを浮かべるが、なんだかぎこちない。後ろの人じゃないものは、笑っているようには全く見えない。
『いや、人じゃないもの、ってのはやめてくださいよ』
後ろのやつが話しかけてきた。
「何を召し上がりますか?」
ヒロコが男に尋ねると、ジントニックを、と無表情で答える。答えてから、目元だけ、頑張って笑う。
「かしこまりましたぁ」と愛想をのこしてヒロコが店の奥へ駆け込んで行く。
3つ年上のミナ姐さんに走るな、と叱られた。
「申し訳ありませーん」
ミナ姐さんはチャーミングに笑いかける。
『チャーミングというのは……』
何の異議ですか。
『表現が主観に偏ってないかと』
人じゃないものが私の主観に口出ししてくる。
『だから人じゃないものってのはやめて下さいよ』
じゃあ、男の後ろのヤツがうるさい。
『いや、うるさいというのは確かに私の落ち度ですが、あなたの、後ろのヤツって言いようは承服しかねますよ、偏見おやじ』
おおっ!?
『……ああ、すいません私も言い過ぎました』
いえこちらこそ申し訳ない。
いやぁ、何十年ぶりかに話しかけられて何だか嬉しくなっちゃいましてねぇ。
『そんなに長くですか?』
「お待たせしましたぁ」
ヒロコがジンやら氷やらをゆっくりと運んで来て、男の前に置く。
この子のように生きてたより長いですよ。
『なるほど、地球人はそうなんですね』
濃いめにつくっていいですか? とか聞きながら楽しげにつくって差し出す彼女。
「あ、わたしヒロコっていいます。よろしくお願いします」
や、だって背後霊に話しかける人なんかそうそういないじゃないですか。
「よろしくね。私は、オオヒラさん、と、呼んでください」
え、地球人じゃないんですか?
「オオヒラさんですね? この近くの方なんですか? お仕事とか?」
ヒロコが尋ねる。
宇宙人、っていうことですか?! と私が驚いて尋ねる。
「えー、私、実はアクィラ星から来た宇宙人なんです。年齢は、先月かな、4368歳になりましてね。アクィラ星では平均寿命が7000歳ぐらいだから、地球人的には50代後半ってところですね。仕事はしてません。この、オオヒラさんは仕事をしてるんだけどね、地球人の仕事は私には無理なんですよね」
宇宙人は面倒くさくなったのか混乱したのか、オオヒラさんという男が、何やら急に嬉しそうな表情になって饒舌に自己紹介を始めるのだった。
あ、気付いたようだな。
後ろの宇宙人は俯き、オオヒラ氏は大きな瞬きを繰り返しながらちょっと黙った。
ヒロコは目を剥いて、始めの方は黙って聞いていたが、途中から、いつどこから笑えるのかと半笑いで相槌を打ち続ける。
大事なのは笑顔。そして聞き上手に徹すること。それから、感動してみせること。それが彼女たちの仕事である。
「……へぇ、すごぉーい! そうなんですねぇ。あ、おかわり、つくりますねー」
『よかった、本気にはされていないようだ』
本気にするわけないでしょうよ! まぁいいから、そのまま話してください。私とは話さなくていいですから!
『恐縮です』
オオヒラ氏の口を借りて、宇宙人は尚も話す。
「人間が長生きするメリットというのはいくらでもあってだね。例えばダ.ヴィンチのような天才が1000年生きていたら、とうの昔に飛行機ができ、医学やら何やら、とんでもないスピードで進歩していたと思わないかな?……思わないか。
ま、兎に角、長年模索し続けてきた志やら研究成果やらは、短命であるが故に、誰かに正確に引き継がれない限りその研究者の命と共に消え去るしかない。よしんば同様の研究をする者が現れたとしても、それは似て異なるものでしかなく、全く同じ成果や解答に至ることは望むべくもない。結果文明や文化の発展はなかなか進歩していかない。
ところが長寿の天才が一人現れれば、研究開発は途切れることなく発展し続けます」
「金塊も作れるようになったっりとか?」
『え?』
自分を神様のように偉大な人物だとでの話したがる男に、ヒロコは少し腹を立てたのだろう。
耐えるんだよヒロコ! 負けるな! がんばれヒロコ!
「あ、金塊を作るという発想はなくってですね」
「つまらないんですね」
ヒロコはグラスに氷を足しながら、上目遣いで少し笑った。
『か、かわいい!』
おい宇宙人!
「あ、すいません金塊を作って欲しいとか、作る必要を感じないとかは、個々の価値観の相違というものですから」
とかなんとか言い訳したり小難しい論拠(ゴタク)を並べたりしながら、悠に2時間は話し続け、酒を更に5杯ほどおかわりして、飲み干して、オオヒラ氏は帰っていった。
のだが、酔った様子は全く無かった。
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