七、

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七、

 地球人は、争いが好きである。  我らがリッタル星では起こり得ない争いが、この地球上では容易に起こるというのは、恐らく争いを好ましいことと理解してのことであろう。  ところが彼女は、地球人であるに関わらず幼さ故か争いを好まない。寧ろ嫌悪している。葦原実里には、特異な能力があり、これはその嫌悪故の能力であろう。これは観察に値する。  それは凡そ激甚たる拒絶が彼女の神経系伝達経路から外部物質にまで強行的な信号を伝達させ、物理的な移動現象をも逆転させ発動させ得る能力である。  その能力の発現は、実里自身の『好き』やら『大切』と感じる情動に大きく左右される。その情動が伴わない場合、全く発現しない。  テーブルの上から、ミルクの入ったカップが落ちる時、浩斗のカップであればテーブルに戻って安定するが、実里自身のカップでは異常無く落ちる。何度でも、落ちる。 「ダリヤ何やってんだよ」  浩斗に見咎められた。実里には嫌な顔をされた。  仕方ない。記憶の改竄をしよう。実験の記録が彼らに残るのはまずい。  私の後ろに待機させてある浮遊ブイから閃光が放たれて彼らの記憶が上書きされると、二人は何やら急に笑い始める。母隊は如何なる記憶を植え付けたことであるか。  数ヶ月後。小学校への通学路。歩道橋の上。浩斗と実里と女子がもう一人、並んで歩いている。浩斗は実里の手を引いている。  後ろからゴロと呼ばれる浩斗の同級生が他男子二人を従えて来る。 「あー、すてられっ子だぁ」などと言って、にやにや笑っている。  無視して行こうとする浩斗。実里はあからさまな嫌悪を投げる。 「おーおー、この子はどこで拾ってきたのかなー?」 「なんだとぉ?!」  浩斗は顔を赤くする。もう一人の女子も抗議する。 「口を利くな、マユ!」  ああマユちゃんであった。 「かわいいおリボンでちゅねー、誰に結んで貰ったんでちかぁ?」  ゴロがイヤミな顔を寄せてくる。 「やめてよぉ」  ゴロの手を払い除けようとする実里。髪のリボンがほどける。 「何すんだよぉ!」  浩斗がゴロの手首を掴むと、実里のリボンが風に吹かれ、歩道橋の上から舞い落ちる。  浩斗が掴みかかり、ゴロが笑う。その他2名も笑い、実里は泣きそうな目で睨む。オレンジのリボンは道路に落ちて車に轢かれた。  下りの階段手前でゴロと浩斗が揉み合う。ゴロは余裕を見せて笑い続け、その他二人も加勢してくる。 「やめて!」と実里。  浩斗が階段を踏み外した時、実里の能力は発現する。  ゴロは笑いながら浩斗を引っ張り上げ、代わりに階段を転がり落ちていった。その他男子が呆けた顔で見送る中、階段の下でゴロの頭が不自然に持ち上がり、四つん這いの形で着地した。  あれ? という顔で立ち上がり、ゴロは歩道橋を振り返って見上げる。  その他2名は、ゴロの見事な受け身を讃えながら駆け降りていく。  ゴロは、困った顔で、照れた。  浩斗は実里を見下ろして、黙って実里の頭を撫でていた。 「リボン、ダメになっちゃったね」  歩道橋を降りたところでマユが言う。 「洗ってアイロンかけたら大丈夫だよ」 「ダリヤは冷静だなぁ」と浩斗が褒めてくれた。……のではなさそうである。  葦原実里を養女に、という夫婦が現れた。彼女がそれでこの施設を出ると、身近な所から観察し続けることが困難になる。  実里には意図的に逃げ回らせて縁組を拒んでいる風を装ってみたが、成人した地球人がバーベキューとかいうイベントをもって実里の気を引こうと画策した。  バーベキューなる文化にも興味が無いではない。  当日は快晴にするよう母隊に依頼した。この地域上空に高気圧と快適な南風を発生させておけば会場に船も降ろし易い。 「明日、晴れるといいね」実里は浩斗に話しかける。 「天気予報だと曇りらしいけど」とマミが答える。 「晴れるといいな、マユ」浩斗が言う。ああ、マユであった。 「晴れるわえ」  と口にしたら、マユが不思議そうに私を見た。  バスに乗せられてキャンプ場に到着する。  乾いた木やら草やらを燃やして火を起こし、その上で肉やら野菜やら魚やらを焼いて食べる。これをバーベキューという。晴れた空の下、自然に囲まれて肉を食い、酒を飲むのが楽しいらしい。  いな、飲酒によって正気を失って美味い不味いの正確な判断が出来ないことは果たして楽しいことなのであるか。なんとも疑わしい文化である。まぁ、酔っている者が多いほど、記憶の書き換えは容易である。  上空から母船が降下して来た。  駆け寄って実里を抱き上げ、母船にジャンプしながら浮遊ブイを飛ばし、閃光を撒き散らした。  拐った我々の痕跡は隠せたものの実里がいなくなったことで大騒ぎになってしまった。実験とデータ収集が終わって椿園に返したとしても、この大騒ぎの記憶は消せそうな気がしない。  浩斗がやけにこちらを見ている。記憶は消去できた筈であるが。
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