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 「沙織じゃ……ない……!?」  早朝から全力で走ったおかげで息を切らした尾崎は、瀬谷の言葉をそのまま鸚鵡返しした。  考えたくはなくとも、「探しに行く」と言って出かけた彼らが遺体を見付けたとなれば、最も恐れていた結末が執拗に彼を追い駆け回すのは必然である。  ところが瀬谷は尾崎の憂いを裏切った。  「僕が掘り起こした白骨遺体は、國本さんが証言した服装とは全く異なる黒いコートをまとっていて、かつ、そのボタンは一つ外れていました。そして、外れたというより引きちぎられたボタンは、昨日の昼まで証拠品として警視庁で保管されていました。今は、ここに」  瀬谷はジャケットの内ポケットからパウチのついた透明なビニールを取り出した。中にはこれといった特徴のない大きめな黒いボタンが入っている。  「ま、待て。一体何が言いたい」  「これは六年前に失踪したとされている、犬飼 夏生さんのコートのボタンです」  「犬飼……」  見付かった遺体は沙織ではない。  それは尾崎個人にとっては悪いニュースではないことは確かだが、つまるところ、新たな殺人事件の犠牲者が発見されたことに他ならない。  ——素直に……喜んでいいものだろうか。  「取り敢えず……現場見せてくれるか」  覚悟を決めながらも恐る恐る穴を覗き込んだ尾崎の胸中では、先の瀬谷の発言の信憑性が高まったのを感じた。  丁寧に掘り抜かれた地面の底には、ウールかカシミヤで織られたであろう黒いチェスターコートに包まれた人骨が寝そべっている。  コートに縫い付けられた二つのボタンの間には、不自然な感覚が開いている。真ん中のボタンがなくなっていると考えるのが妥当だった。  尾崎は落ち着きを取り戻しはしたものの、未だ若干の不安定さが見て取れる。  瀬谷は彼にほんの少しでも休むよう進言した。どちらにせよ苦であることが分からないほど瀬谷も愚かではないが、それを理解した上でも声をかけずにはいられなかった。  「まぁ……何にせよ、まだ五時前だ。周りに聞き込みってわけにもいかん。それに発見者はお前さんたちだしな。この場は任せて、俺らは一度引き上げよう」  尾崎は踵を返して、落ち葉の絨毯の上をゆっくりと戻る。  先を行く彼は垂頭し、今にもそのまま前のめりに倒れそうだった。
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