虚偽

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 捜査本部で行われた緊急会議では、どす黒く、眼に見えるほどに重たい空気が澱んでいる。  いくつかの会議室の垣根を取り払った大部屋には何十もの刑事や捜査関係者が寿司詰めにされており、彼らはこぞって自らの脚で得た情報を公開し功を急いた。  その一番後方には壁に凭れた尾崎と、堅苦しく屹立しメモを取る牧田の姿もあった。  「——なお、現場からは身元不明の指紋や血痕、その他が複数確認されています。現在解析中ですが、以上の点から同一犯と断定するのは尚早かと思われます」  殺気と疲労に塗れた背広たちと相対する捜査本部長の三堂は、その他の意見が出ないことを確認すると、ようやく重たく閉じられていた口を開いた。  「犯人の思惑など、どうでもいいことです。重要なのは、このような事件を立て続けに三件も許してしまった事実。犯人が同一であろうと模倣であろうと、我々がすべきことは何も変わりません。証拠が残っているのなら、それを頼りに徹底的に追うのです。一刻も早く犯人を捕らえる為、各自総力を尽くしなさい。その過程にて起こる物事に対しての責任は、全て私が請け負います」  「いやはや、すっかりおおごとだな。真相知ったら、こいつら全員泡吹いて倒れるんじゃねえか?」  並んで立つ牧田にだけ聞こえるように、尾崎が苦言を呈する。  「それもそうですけど……そもそも、どうやってことを収めるんでしょう……?」  「……確かに」  三堂の隣に座る厳つい男が幾らかの言葉の後、解散の令を出すと、今まで大人しくしていた背広たちが一斉にわらわらと動き出した。  二人が待ち望んだ一世一代の好機。  ここで目星を付けられないと、今後彼らが散り散りになってからでは全てが水の泡になってしまう。  ——どこだ。どこにいやがる……。  ——誰か、怪しい人……。  身体中の全神経を、この広い室内で蠢く数十の一挙手一投足全てに向ける。  表情、動作、仕草、声、そこに第六感まで乗せ、精神を研ぎ澄ます。  「……こにいやがる……てんだ……」  あらゆる騒音、雑音に紛れた密やかな怒気。  その他無数に犇く刑事や捜査官たちはそれに一瞥もくれず、各々の捜査方針や今後の動きを考え、共有することに没頭している。  身内同士の衝突などという、ありふれた些事にいちいち気を取られていては捜査もままならない。  一歩引き俯瞰していたからこそ、二人はそれを聞き逃さなかった。  ——左前方。だいぶ遠い。こりゃ確かに、気ぃ張ってないと分からんな。  「牧田」  「はい。聞こえました。誰かがいないみたいですね」  スマートフォンを握りしめ項垂れたまま会議室を出ようとする男は、注視して探すまでもなく、すぐに見付けることができた。  「稲川」  「ああ、尾崎さん……おはようございます」  稲川は心ここに在らずといった状態だった。異変を察した尾崎は自らの用件を一度引っ込め、彼の身を案じる。  「どうした、大丈夫か」  「今朝のご遺体、誰だか聞いてないんですか?」  二人は顔を見合わせ、無言のやり取りで互いに突き刺さった罪悪感を共有する。  彼は遺体の顔までは見ておらず、聞かされているのは「クニモト」という名前だけで、その遺体の正体を知らない。  厳密には遺体ですらないはずなのだが、この事実は稲川にとって知る由もないものだった。  尾崎は稲川に対して、何をどう伝えるべきかを必死に考えた。  シオリは作戦の内容は絶対に他言するなと念を押した。それは相手に手の内を晒さない為の、まさにジョーカーであるからに他ならない。  何より、疑いたくはないが稲川が完全にシロと言い切れない現状において、次の一言は作戦の成否に大きく関わることになる。  「稲川。俺たちに任せて、今日は休んどけ」  本当は誰も死んでないんだから、と心の中で言葉を続け、彼に休むよう促した。  「いえ、そういうわけにもいかないんで」  尾崎の言葉もあってか、心なしか稲川の顔はほんのり明るさを取り戻した。  「あ、ええと。じゃあ一つだけ。稲川さん、さっき誰かに電話かけてませんでしたか?」  隙を見て牧田が切り込む。  「佐藤です。今朝から連絡つかなくて。二人は何か知りませんか」  牧田があんぐりと開いた口を右手で塞ぐ。  ——佐藤だと? あのへらへらした調子者が……人殺し……?  果たして、佐藤のような半端な人間にそのような大逸れた行動ができるのだろうかと、怒りや驚きよりも先に疑問が芽生える。  直後、それらを振り払った尾崎は徹底的な懐疑の視点を定めた。事実、彼らの視界内で怪しい動きをしているのは佐藤以外に見受けられない。何より、迷っている時間もない。  「し、調べてきます」牧田は小さく頭を下げ、大きな会議室を後にする。  ——佐藤くんが殺し……? 分からない。分からないなら、確かめるしかない。  彼女は何度も自分を律するよう言い聞かせながらフロアを駆けた。
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