真実

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 秋葉原駅銀座線の改札前は人でごった返していた。  単に人が多いというわけではなく、付近は流れが酷く滞っており、立ち往生を強いられた人々は惜しげもなく殺気を振り撒いている。  スマートフォンに視線を落とす者や、それを耳に当て頭を下げる者たちを丁寧に押し退け、ようやく改札窓口まで辿り着いた二人は、押し寄せる利用客を捌くのに必死な駅員に対し、無情にも現状の説明を求めた。  駅員は始めこそ辟易した様子で碌に取り合おうともしなかったが、尾崎が警察手帳を提示すると、駅員は安堵したのかその態度は見る間に萎れ、上司を呼ぶ為にその場を離れた。  無論、尾崎は刑事課の人間なので管轄違いである。本来であれば鉄道警察が現着しているはずだが、彼らの声や姿は確認できない。  一分も待たない内に駅長を名乗るしわがれた男が二人の前に姿を見せ、あらましをつつがなく述べた。  曰く、男女一人ずつから鉄道警察に通報が入り、その調査に乗り出そうかという段で運行中の列車から『人影を見た』と連絡があったとのことだった。  現在、列車は一部区間で緊急停止を余儀なくされているという。  「俺たち下に行かなきゃならないんです。ここ、通してもらえませんか」尾崎は今一度手帳を取り出した。  「現在確認作業中ですので。それに停車しているとはいえ危険です。刑事さんといえど、今すぐにお通しすることは……」彼の表情は芳しくない。  そんな悠長なことを言っている場合じゃない、と尾崎は声を荒らげそうになったが、これだけの混乱の最中、対応する側の気苦労も察せないほど彼は無情ではなかった。  かといって、ここで足踏みしている余裕もない。  ——無理やり押し通るか? 後で多田さんやら三堂に怒られるくらいなら訳ないが……。  「ねぇその通報って、男の人からの方が先だった?」  「……はい。そのすぐ後に女性から“電車を停めるように”と通報が入りました」  「ふむ、なるほどね。駅長さん、わたしたち今すぐ下行きたいんだ。通してもらえるかな。それから、尾崎警部の名前で警察にも通報しておいて」  シオリはまるで高度なマジックを思わせる手捌きで、どこからともなく見覚えのあるカードを取り出し、それを駅長に提示して見せた。  「これは……」  駅長はそのカードとシオリを交互に見つめた。  その表情は驚愕とも困惑ともつかない、まるで幽霊でも視認してしまったかのように青褪めた色をしている。  「尾崎警部も出してもらえる? これ二枚ないと意味ないんだ」  「……? お、おう」彼は言われるがままに、財布に仕舞い込んだそれを抜き取った。  「分かりました。さあ、どうぞこちらに」  駅長はそれ以上は何も言わず、利用客に目立たないよう駅員室へ二人を招き入れた後、改札の先へと通した。  尾崎はその場に漂う空気に飲まれ、終始無言だった。気を遣おうなどという意図よりも、年甲斐もなく何をどう口にすべきかが分からなかった。  ホームまでの階段を駆け降りる最中、尾崎はこれまで温めに温め続けた疑問をシオリに投げかけた。  「なあ、君ら本当に何者なんだ?」  あくまで単刀直入に、鋭く的確に核心を突く一言。  尾崎は決して肩書きに拘りを持つような人物ではなかったが、“警部”と記された警察手帳でさえ渋られた要求は、謎のカード二枚でいとも容易く飲み込まれた。  彼の質問に対し、この期に及んでまで口籠ったりはぐらかすのであれば、いよいよそれだけ世俗や常識から隔絶された存在であることの証左足りうる。  それが分かるだけでも、ある意味では一つの答えだった。  シオリはややあって「瀬谷にバレると面倒だから、まだ内緒にしといてよ?」と釘を刺した上で、遂にその正体について語った。  「ASIOっていうのはすごい人たちが立ち上げた、存在しない研究機関なの。ちなみに瀬谷はあれでもちょっと偉かったりするんだよ。ちょっとだけね」  「存在しないってのは、どういうことだ」  「んー。一番分かりやすいのは、ネットで検索しても情報が一切出てこない、とか」  「ほお」早めた脚を止めることなく、上がった息で答える。  「信じるの?」  「シオリちゃんなら、本当に隠したければもう少し面白い嘘つくだろ。もっとも、俺のこと馬鹿にしてるってんなら話は別だが」  「そんなことしないよ」  二人はホームに降り立つ。本来ならば人の往来で溢れかえっている場所は伽藍堂であり、その空間は酷く不気味で非現実的な違和感を醸し出していた。  尾崎の鼓膜が拾うのは自らの荒い呼吸や布擦れのみで、もはやそれさえも反響していると錯覚するほど静寂に満ちている。  突如、広い地下空間に圧倒的な破裂音が轟いた。間違いようのない独特な余韻を含む爆音は、瞬時に銃声だと判断できた。  「銃声、どっちだ!」  「こっち」  シオリは微塵の躊躇なくホームから線路へ飛び降り神田駅方面を指差すと、雄大な草原を跳ねるかのような無邪気さで駆け出した。
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