道化

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 「頭でも打ったか……? いや確かに撃ったが……人間じゃないだと? 何だお前、ふざけてるのか?」  「ふざけてるのは君だよ。何人殺したの? 十人? 十五人?」  「誰が人殺しだって? 何で僕が疑われる?」  「わたしは忠告したはずだよ。『ジョーカーは最後まで隠し持ってたら負け』だって」  人工知能を積んだ道化は今までのどの瞬間よりも毅然とした態度で——しかし自身の意志として構築した婉曲的な言い回しは決して崩さず、佐藤と対峙する。  「そして何にでもなれるジョーカーは必ず二枚存在する。このゲームにおいてのそれは、人のフリをした“機械”と、人の皮を被った“怪物”。どっちも人間じゃないんだよ」  「そんなもの、お前のこじつけだろうが。そんなくだらない冗談なんかより、僕が殺した証拠でもあるのか? 出してみろよ」  「わあ、その台詞。本当に聞けるとは思ってなかった。映画だとその台詞は自白と一緒なんだよ? 知らないの? 確かに、君は証拠を徹底的に掻き消してきた。だからここまで人殺しを続けられた。『才能が一つ少ない方より、一つ多い方が危険』。君の好きなニーチェの言う通りだね。でもあの地下室。あそこは証拠の山じゃない? 不法侵入と大島さんの血だけでも充分立件できると思うけど」  佐藤の眉が激しく上下する。  「だけどそれじゃ面白くないから、君の考えを全部言い当ててあげる。間違えてたら教えてね」  佐藤は呆気に取られるあまり、自分が拳銃を携えていることを失念していた。  それを思い出した時、彼の脳はほぼ確実に詰みに近いこの状況からの打開策を弾き出すべく、焼き切れる寸前の過剰な速度で回転し始める。  装填されている残弾は三発。  この場にいる全員を殺して逃げるには最低でも四発必要。一発足りない。  そもそも脳天に銃弾を受けてなお平然としている自称機械人形がいる時点で、それは有効打とは言い難い。  他の三人を確実に殺せるのであれば、逃げ切れる可能性が生まれるかもしれないが、そのうちの一人は同じく銃を持っている。  残る刑事二人も抜いていないだけで、それぞれ一丁ずつ持ち出していても不思議ではない。  むしろそう考える方が自然だった。最悪三本の筒が一箇所に集中する場合もあり得る。  「最初に明らかにしておきたいのは、今回の十字殺人事件。まずはその動機。一件目、犯人はとある場所で被害者を殺害し、遺体を別の場所に移した。疑問点は、遺体や遺棄現場から自らに繋がるものを徹底的に消し去ったにも関わらず、“殺人の事実”だけを目立つように衆目に晒したこと。二件目でも別の場所で殺害し、同じポーズを取らせた状態で、今度は更に人目につく場所に遺棄した。ここから導き出せる答えは一つ。単に承認欲求を満たす為。謎の連続事件の犯人は、自らの犯行があらゆるメディアで取り上げられたり、あまつさえ未解決で終わることにある種の快感を抱いていた。この時点で既にだいぶ頭おかしいよね」  シオリは右腕を上げ、人差し指を立てた。その内部を構成する人工的な筋繊維や関節機工をしなやかに動かす。各部品の摩擦から生ずる雑音は一切ない。  ある科学者は「機械の騒音は設計の不備の証左だ」と唱えた。  つまり、彼女が有する創り物の身体は、それだけ完璧に近い産物だった。  「次に遺体の意味深なポーズ。これは言うまでもなくキリストの磔刑。後からニーチェの格言を使い始めたわけだけど、神に恨みでもあるの? 神はいないよ。ところで、三人目は誰? まだ生きてたらいいんだけど」  佐藤は押し黙ったまま、何も答えない。  「ふぅん。じゃあ最後は君の身の丈に合わない愚行とその結末。それは、わたしを挑発したこと。しかもご丁寧に“人間じゃ暴けない”って文言を使って。確かに、人間じゃ辿り着けなかったかもしれないけど——残念だったね。ジョーカーは何にでもなれるんだよ。死体にでもね」  機械人形の滑らかな発音は、人間が聞き取りやすいトーンと一定の速度を保ち、つつがなく続けられる。  そして、ふんだんに無駄を含んだ婉曲口撃はいよいよ終端を迎えようとしていた。  「どのみち、封鎖されてるはずの地下室を勝手に改造して、おまけに瀬谷まで撃ってくれちゃった以上、もう君は、君が望む結末には辿り着けない。ううん、絶対に辿り着かせない。さっきも言ったけど、もうわたしの負けはあり得ないんだよ。……さて。ここでもう一度訊くよ、佐藤 末廣。他人の命を自らの快楽の為の道具としか視ていない、獣にも及ばぬ憐れな“十字殺人鬼”の正体は、君だね?」  お喋り好きな自動人形がようやく話し終えると、神田川の地下を貫く長い長い閉鎖空間は再び静寂に包まれた。  その静けさは不気味なほど執拗に引き伸ばされ、さも時が止まったかのように誰一人として動かず、何も発しない。  ——何も……僕は何も間違ってない。自分の為に生きただけだ。  同時に、シオリがのべつまくなしと論った言葉のそれぞれもまた、何も間違いはなかった。全ては彼自身の行いによって出た錆である。  佐藤はそれが理解できないほど愚かではなかったが、同時に、決して過ちを認められないほど、救いようもなく愚かであった。  「……いいか、ちゃんと学べよ頭のおかしいクソガキ。この世に……真実なんてものは存在しない」  そう言い放つと手にしていた拳銃を放り投げ、懐から一本の刃物を取り出した。十五センチほどの長い刃は、薄暗闇の只中でも燦々たる輝きをまとう。  佐藤はそれを逆手に持ち替え、固く握られた拳を高らかに掲げる。  「これで全ては、闇の中」  振り下ろされる先は一箇所のみ。  佐藤は自ら死を選ぶことで、もはや抗いようのない何もかもから逃れようと決意したのだ。  尾崎がそれを阻止するには距離が足りない。  牧田がそれを阻止するには時間が足りない。  勝ちを確信しているシオリは動かない。  そして瀬谷が、シオリの確信を寸分違わぬ現実へと変えてみせた。  狙い済まされた最後の発砲。着弾の衝撃は、佐藤の手根骨から先を踏み潰された飴玉同然に粉砕した。  芯を失った右手は有り余る勢いのままに、奇怪な方向からまた奇怪な方向へと、ただただ大きく揺さぶられる。  弾き飛ばされたナイフは古びたレールの上に落下し、耳障りな金属音を数回鳴らしながら転がった後、敷かれた砂利の端に落ち着いた。  「生きる価値のない者に、満足な死が許されると思うな」  「さっきも言ったでしょ。君の望む結末は、絶対にあり得ないって」
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