未来

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未来

 佐藤による虚偽の通報から戻った鉄道警察や駅員たちにより、改札前や駅構内の整備誘導が行き届きつつある中、その範囲外にあたる駅前の通りは憤慨を滲ませる利用客や好奇に塗れた野次馬で溢れかえっていた。  十数人の警官が忙しなく行き交い規制線を敷いたかと思えば、数台のパトカーや救急車までが到着するといよいよ物々しさは隠しきれなくなり、現場には次から次へと新たな野次馬が蛍光灯に集まる虫のようにやってきた。  その中心には、担架に乗せられながらも何某かと電話をしている瀬谷と、その隣で内容を盗み聞きするシオリの姿があったが、取り立てて心配する素振りはみせない。  その後、瀬谷の「分かりました」の一言を聞くなり、尾崎と牧田の元へと駆け寄った。  彼女は大事件に揺れる夕暮れの秋葉原であろうと、変わることなく溌剌としている。  “そうあるべき”と刻み込まれたシオリの行動パターンに乱れはなく、また疲労を蓄積することもなかった。  「良いニュースと普通のニュースがあるよ。どっちから聞きたい?」  遅れて到着した一課の面々とのやり取りも相まって疲弊しきった刑事二人にとって、シオリの到来は両手を挙げて喜べるものではなかったが、一方で奇妙な安心感を伴っていた。  「沙織の方から聞かせてくれ。あの子は今どこにいるんだ」  三人——二人と一機共に、酷く汚れた格好で斜陽に照らされている。  牧田の袖に至っては瀬谷の血液によってかなりの範囲にシミができていたが、この空間には今までの緊迫感や懐疑心はなく、また、周囲の騒々しさとも駆け離れた不可思議な穏やかさがあった。  「じゃあ、良いニュースね。沙織さんは今、千代田区の大学病院で保護されてる。後で連れてってあげるから、安心して」  尾崎はこれに対して、何も返さなかった。  今の彼の胸中を慮るのは、例え血の通った人間であっても、高度な知能を持った機械であっても不可能だった。  もっとも、シオリにそれが可能だったとして、実行しようとするかどうかは、また別の話である。  「次に普通のニュース。沙織さんを攫った犯人は戸上 昌平(しょうへい)。ペトロカードの解析結果を持ってきた警官だった。尾崎警部はこいつのことも疑ってたんだよね? 十字殺人とは関係なかったけど、結果的に刑事の勘は見事的中してたよ」  彼女は静かに眠っている。  呼吸補助器と数本の管が巻き付けられてはいるが、確実に自らの力で酸素を取り込み、その身を満たす血液を正しく巡らせていた。  「暴行を受けたような外傷も見られませんし、容体は安定しています。ですが精神的な面は何とも……」  担当医の言の終わりは歯切れの悪いものだったが、しかし身体的な異常は見られないと明確に告げた。  福山 沙織は生きている。  彼女は誘拐されてからの五年間を埃臭いアパートの一室で過ごすことを強要されていた。  それがどのような意図によるものなのかはまだ不明だが、彼女が生かされていたのは紛れもない事実であった。  屈強ではあるが著しくくたびれた叔父は、姪の寝顔を病室の入り口から朧げに見つめている。  寝台のすぐ傍には彼女の両親が抱き合いながら、安堵のあまり眼を真っ赤に腫らしながら大泣きしていた。  医者の言葉を聞いた尾崎は自らも泣き崩れそうになるのを寸でのところで堪え、静かに引き戸を開けて病室を後にする。  すぐ目の前には、廊下に据えられたソファに座りながら両脚をぷらぷらと遊ばせている人形の姿があった。  「あれ、もういいの?」  「ああ。怪我はないって言ってたしな。それに、今更俺がいたって、何もしてやれん。今は生きてるのが分かっただけで……それを自分の眼で確かめられただけで充分だ」  「そっか」機微の読み取り難い単純な一言が転がる。  「なぁいくつか、訊いてもいいか」  シオリが座っているソファに腰を落ち着けながら、彼は短く訊ねた。  「もちろん」  「沙織が生きてること、いつから知ってたんだ」  「今日の零時過ぎ。すぐに伝えたかったけど十字マン捕まえる為の準備もあったし、それを知ったら尾崎警部が集中できなくなるでしょ? ——って瀬谷が。でもちゃんと二日で視付けたよ」  「……そうだな」  文句の一つでも言いたいところだったが、ぐうの音も出ない正論だった。  本来ならば重たい沈黙も、病室棟のあちこちから鳴る雑多な音で掻き消され、気まずさを生み出すには至らない。  「人間じゃない、ってのは……それもあいつを揶揄うハッタリか?」  「ううん。あいつにはもう嘘ついてたし」  答えを聞くなり、尾崎はいつものように両手で顔を覆い、深い深い溜め息を漏らしながら俯く。再び沈黙がのしかかるが、今度のそれは更に長引いた。  仮にも刑事であった殺人鬼をも騙せる死体の模倣。脳天に銃弾を受けてなお無傷。人間には成し得ない芸当の数々。  よくよく考えれば、これで正真正銘、本物の人間だと信じるのも大概無理がある。  強烈な吐き気を催す最低な愚か者は“人間には捕らえられない”と豪語した。  結果、大言壮語を宣った吐瀉物にも劣る見下げ果てた下衆な殺人鬼は、人ではなく、機械人形によってその正体を暴かれた。  これ以上ないほどに鮮やかで泥臭く、皮肉に塗れた意趣返しだった。  「君らは……どっかのエージェントだとか言ってたよな。外部の君らから見て、俺たち警察ってのはどう映る?」  「それはわたしには答えられないかな。でも敢えて言うなら、わたしは尾崎警部のような人をサポートする為の存在。『罪を犯した者を法の下に引き摺り出す』っていう覚悟を持つ人の味方。だから別に、わたしは警察の味方ってわけじゃない。……これって答えになってる?」  「つまり——少なくとも君は警察という組織の味方ではなく、刑事の味方ってことでいいのか?」  「そういうこと。わたしは正義の味方の味方。でも警察と正義はイコールじゃないからね。強いて言えば、これが答えになるかな」  「……情けない限りだ」  シオリの言う通り——特に今回の二つの事件は顕著であり、紛れもない事実だった。  誘拐、監禁、殺人、死体遺棄。この日ようやく明るみになった残虐で忌わしい事件の犯人は、どちらも現役の警察官たちがそれぞれ引き起こしたものである。  罪の大小を問わず、秩序を保つ為の組織に属す者としてあってはならない由々しき事件。  彼はそれを再認識した時、己の全てに嫌気がさした。  これまでの二十年間、辛くも絶対的正義であると信じ続けてきた彼の中の警察像は、もはや形を留めておくことが困難なものと成り果ててしまった。  「行こう、シオリちゃん。まだ仕事が残ってる」
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