妻の役

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 休日。同僚の彼と俺は、猫カフェで癒されていた。猫の前では社会で生きるために身につけた鎧を脱いで、ありのままの自分でいられる。 「ねえ。妻の役やってよ」 「は? なんでだ」  彼の唐突なお願いを無視し、俺は猫をもふり続ける。 「そろそろ結婚したくてね。その前に妻との生活の予行練習をしようと思って」 「え。いつのまに? 結婚するのか?」  仲がいい俺たち。彼のことはよく知っているはずだった。お互い、彼女いない歴イコール年齢であり、女の影がまったくないことも。  もしかして彼は独り身を演じていたというのか。 「ううん。まだ相手はいないのだけど」 「いないんかい」  ホッと胸をなでおろした。ウソはつかれていなかったわけだ。 「でも、イメージトレーニングは大事でしょ。マラソンランナーは大会前に実際のコースを走った気になるらしい。だから、どんなアクシデントがあっても最後まで走りきれるんだって」 「わかったよ。やるよ」  やらなければ、今日も長々と講釈を聞くことになりそうで、承諾した。 「その前にデートの練習ではないのかね」  と、猫にぼそぼそとこぼす。 「ユーちゃん、どうしたんだい。顔をあげてごらん。猫背のままだと、血行が悪くなってよけいに気分が落ちこんでいくよ。だから」  もうすでに、彼は夫役になりきりだした。それでもよけいな長話は止めないらしい。  これは、鬼嫁になりきって厳しく注意すべきかもしれない。将来の嫁にあいそを尽かされる前に。 「シャラップ!」 「シャーと威嚇したの? 子供がいる猫は狂暴だよね。もしかして、できたの?」  勘違いした彼が俺のビール腹を触ろうとした。キャッと思わず声をもらし手が出た。  猫パンチの如くじゃれつく程度にはできなかった。空手黒帯の俺の拳で、彼はヘソ天で寝そべる猫と同じように伸びた。まだ新婚ごっこをやっているのか、幸せそうな顔で。 「喋らなければ、猫みたいにかわいいのに。そしたら、妻の役やってもいいのだけどね」  猫に向かって話しかける。猫の前ではありのままの自分でいられる。
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