3.

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「絢斗」  志の右手が、絢斗の左頬をそっと包んだ。 「落ちついて」  志の親指が、頬を優しくなでていく。知らないうちに、涙がこぼれ落ちていた。  出せなかった。  もう少しだったのに。チャンスだったのに。  悔しい。  いつになったら、僕は声を取り戻すことができるんだろう――。 「深呼吸しよう」  志はそう言って、絢斗と二人でタイミングを合わせて息を吸い、ゆっくりと吐き出した。高ぶった気持ちが(しず)まると、出せそうだと思った声は、再び長い眠りについた。 「どうだった? 今の歌」  感想を尋ねられ、絢斗は思い出したように気持ちを切り替えた。慌ただしくバッグから青いノートを取り出し、感じたままに綴る。 〈最高でした! 感動して、うまく言葉になりません!〉 「本当? よかった」 〈YouTubeに投稿されていたカバーソングも素敵でした! 僕、志さんの歌声が好きです! 四六時中聴いていたいと思いました!〉 「四六時中?」  志が照れたようにはにかむ。興奮冷めやらぬ絢斗は、青いノートから赤いノートへと持ち替え、『The light fall』のページをちぎって志の前に差し出した。 「俺に?」  絢斗はうなずく。志さえよければ、曲の続きを作ってほしいと思った。  志は黙って、絢斗の綴った詩を受け取る。しばらく考えるように文面を眺め、紙から顔を上げた。 「一曲、完成させたいってこと?」  伝わった。絢斗は大きくうなずいて、〈よろしくお願いします〉と手話で伝えた。握った右手を鼻の前に突き出し、手を開きながらお辞儀をする。  志はまた紙を見て、考えるような顔をした。そよ風が木々を揺らす中、たっぷり三十秒ほど沈黙が続いた。 「ねぇ、絢斗」  覚悟を決めたような口調で、志は言った。 「よかったら、俺と一緒に音楽やらない? この一曲に限らず、もっとたくさんの歌を作ろうよ、俺たち二人で」
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