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 秋雨前線の影響で、二日間、雨が降り続いた。ようやくやんだかと思えば途端に気温が急降下し、街は一気に秋の装いになった。  念願の晴天に恵まれた週末、絢斗は八王子駅で志の到着を待っていた。二人ではじめて作る曲『The light fall』を志がいよいよ完成させ、今日、これからレコーディングをするのだ。  志がいつも使っているのは池袋の音楽スタジオだというが、今日は絢斗の地元である八王子までわざわざ足を()ばしてくれた。乗り換えも含めて一時間以上の道のりになるというのに、志は嫌な顔一つせず「俺がそっちに行くから」と言った。一緒に音楽をやると決めた日から、曲作りの進捗(しんちょく)状況を毎日連絡してくれるし、本当に優しい人だった。  都心部に比べればたいしたことはないとはいえ、休日の午後の八王子駅も人出は多い。いつもなら行き交う人の波にのまれて気分が悪くなるのだが、今日はしゃんと背筋を伸ばして立っていることができた。  両耳にイヤホンを装着し、スマートフォンでYuki1092のカバー歌唱動画を流していた。あれから毎日、欠かすことなく志の歌を聴いている。  本名を知ると、アーティスト名『Yuki1092』がまさに志のことを表しているのだとわかる。『10()92(くじ)』。苗字を数字に置き換えた名だった。  池袋で志と出会ってから今日まで、絢斗は暇さえあれば志の歌を聴いていた。『The light fall』が楽曲として完成することももちろん楽しみだったけれど、志の歌を、志の声を聴いていればそれ以上に幸せなことはないとさえ思えた。心が落ちつき、一人で出歩くのも怖くなくなった。  今、SMAPの『夜空(よぞら)ノムコウ』の弾き語りを聴いている。しっとりと柔らかな歌声が心とからだに沁み渡り、嫌なことをすべて忘れさせてくれるようだった。  一つだけ気になることと言えば、志の投稿した歌唱動画のすべてが、ギターによる弾き語りであることだ。音大でピアノを学んでいるのだから、ピアノ伴奏での弾き語りがあってもおかしくない。  もちろん、ピアノはクラシックしか弾かないだとか、彼なりのこだわりみたいなものがあるのだろうとは思う。けれど、彼の選択したカバー曲の中にはギター伴奏よりもピアノ伴奏のほうが合いそうなものがいくつかあった。それでさえ(かたく)なにギターによる弾き語りをするのはなぜだろう。音大生ゆえのプライドなのか、あるいは、なにか特別な理由があるのか。
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