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「絢斗」  肩をたたかれ、絢斗は背後を振り返った。 「よっ」  ギターケースを背負った志が八王子に到着した。先日と同じ黒いマウンテンパーカーに、今日のボトムスは濃紺のストレートデニムだ。 「ごめん、待った?」  絢斗は首を横に振り、スマートフォンの画面をタップして動画を停止した。 「あ、また俺の歌聴いてる」  イヤホンをはずす絢斗に顔を寄せ、志が手もとを覗き込んでくる。距離が近くて、彼の体温が空気を伝って頬に触れた。 「そんなに好き? 俺の歌」  もちろんだ。絢斗は素直にうなずいた。ずっとリピートしているのだと、右胸の前で両の人差し指をくるくると回す手話をする。  志は黙って笑みをこぼすと、不意に、絢斗の顎に手を添えた。顔が近づき、視線を志へと固定させられる。 「じゃあ、俺のことは?」  痺れるような美声で問われる。鼻先が触れそうになり、呼吸が止まる。  心臓が早鐘を打つ。全身が熱くて、頭がうまく働かない。  すぐ目の前に志がいる。  彼のことは。  志さんの、ことは――。  瞳をぐらぐら揺らしていると、志の妖艶な表情がふわりと緩んだ。さわやかな笑みを浮かべ、絢斗から離れる。 「行こう。スタジオ、すぐそこだから」  なにごともなかったかのように、志は絢斗をその場に残して歩き始めた。パーカーのポケットに両手を突っ込み、長い足をゆったりと動かす志の背中を、絢斗は吸い込まれるように見つめる。  ――俺のことは?  志の問いかけが、耳の奥でリフレインする。  ――俺のことは、好き?  歌だけじゃなくて、彼のことも?  立ち止まり続ける絢斗を、志がそっと振り返った。視線だけで「早く」と訴えかけてくる。  もつれそうになる足を懸命に動かし、絢斗は志の背中に続いた。志は絢斗が隣に追いつくまで待ってくれて、二人並んでスタジオまでの短い道のりを歩いた。  見慣れた街並みが、急にきらびやかになったように感じた。隣に志がいるだけで、世界が鮮やかに彩られる。  不思議な気持ちだった。心拍数は上がりっぱなしで、落ちつく気配はまったくない。  けれど、悪い意味での緊張でないとはっきりわかる。志の隣を歩けることを喜んでいる自分がいる。  ちらりと右隣を窺うと、志はさわやかな笑みを浮かべていた。  端正なその横顔を見て、考える。  もし、先ほどの問いにイエスと答えたら、彼はどんな顔をするだろうか。
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