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「オッケー。一回チェックするわ」  人生ではじめて足を踏み入れた音楽スタジオの一室で、絢斗がカメラの録画停止ボタンを操作すると、志は肩の力を抜き、腰を落ちつけていた椅子から立ち上がった。  三脚にセットしたカメラにマイクをつないだだけのシンプルな機材で、志はいつも投稿動画用の演奏を撮影・録音していた。音大でピアノを学んでいる都合もあり、賃貸マンションながら防音室のある家に住んでいるそうだが、ちゃんとしたスタジオで演奏したほうが気合いが入るらしく、自宅で歌うことはないという。  志のパフォーマンスをただ座って見ているだけでは申し訳ないと、絢斗は録音作業を手伝わせてほしいと自主的に願い出た。ならばと志がカメラの操作をまかせてくれて、絢斗は緊張しながら録画開始ボタンを押し、たった今、録画停止ボタンを押した。志の歌声に聴き惚れて、うっかり操作をまかされていたことを忘れかけたことは志には内緒だ。  録画した映像を再生し、熱心に精査している志の隣で、絢斗はやっぱり放心状態になっていた。  素晴らしいという言葉では足りないくらいの出来映えだった。絢斗の綴った詩の情景以上の美しい絵がスタジオじゅうに広がった。  間奏などで時折入るフェイクの鮮やかさ、歌詞に合わせて揺れ動く感情によって色を変える声。どこを切り取っても、渡久地志は絢斗の相方としてもったいない歌い手だった。  胸がいっぱいで、その場にくずおれそうになる。  こんなにも幸せなことがあっていいのか。これまでずっと、孤独な深海を漂うことばかりだったのに。  幸せすぎる。  誰よりも近くで、大好きな彼の歌声をひとりじめできるなんて。
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