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「ん? どうした?」
顔を上げてくれた志に、絢斗は青いノートに綴った文章を見せた。
〈志さんは、このまま歌手としての活動を続けますか? いずれはプロになりたい、というようなことを考えていますか?〉
もしかしたら、彼はピアニストを目指しているのかもしれないと思った。音大に進むことができたのだから、相当の実力者であることは間違いない。
でも今の彼は、毎日のようにギター片手に歌を歌っている。ただでさえ忙しいと聞く音大生、それもピアノ専攻だという彼の生活を、余計なお世話と知りながら、絢斗は内心案じていた。
「なりたいね」
だが、志の答えは明確だった。
「なれるものなら、プロの歌い手になりたいよ」
握っていた鉛筆を譜面台に置き、志はゆったりと肩の力を抜いて語り始めた。
「絢斗だから言うけど、俺、昔からピアノよりも歌うことのほうが好きだったんだ。ずっと憧れててさ、歌手っていう職業に。もちろん、そう簡単にいかないことはわかってる。周りの意見なんかも、いろいろあって……」
先を言い淀み、志はかすかに瞳を揺らした。
「それでも、俺はやっぱりなりたいかな、プロの歌い手に。今は昔よりもずっと、その気持ちは強くなってる」
どこか遠くを見ながらしゃべっていた志が、絢斗の姿をその視界にとらえた。
「絢斗と出会えたからさ」
絢斗は両眉を跳ね上げた。
「俺、本当に尊敬してるんだ、絢斗のこと。声が出せなくて、俺なんかよりずっとつらい人生を送ってきたはずなのに、詩っていう手段を選んで、自分の気持ちをちゃんと誰かに伝えようとしてる。塞ぎ込むこともなく、ちゃんと世界とのつながりを持とうとしてる。偉いよ。人として尊敬できる。健気っていうか、その……一生懸命なところが、応援せずにはいられなくて」
志の頬がかすかに赤らむ。こうして彼がわかりやすく照れる姿は新鮮だった。
「気づいたら絢斗のことを考えてる自分がいてさ。今なにしてんだろ、とか、今日はどんな詩を書いたかな、とか、気になって仕方がなくて。……って、なに言ってんだろ、俺。そんな話をしたいんじゃなくて」
邪念を振り払うように首を振り、志は改めて絢斗と目を合わせた。
「叶いそうな気がするんだ、絢斗と一緒にやっていけば。俺一人の力じゃ無理でも、絢斗が隣にいてくれたら、叶わない夢だと思っていたことが、夢で終わらないような気がする」
志は座っていたスツールから腰を上げ、絢斗の手をすくい上げた。
「もちろん、絢斗には絢斗の夢があると思う。だけど、できれば前向きに考えてほしい。これから先、俺と一緒に音楽の道を歩むっていう選択肢を」
冗談なんかじゃない、と志は言った。
「俺、本気だから」
力強い眼差しは、彼の本気度をありありと映していた。
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