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 徐々に青ざめていく絢斗の前に、男が一枚のDVD―Rを差し出した。 「一年前、パリで開かれた国際ピアノコンクールの映像。志兄の成績は第三位、日本人の中では他の参加者に圧倒的な差をつけたトップだった。聴いてみな。自分がいかにバカなことをしてるかってこと、よくわかるはずだから」  絢斗に無理やりディスクを押しつけ、男は静かに立ち去った。遠ざかり、やがて姿の見えなくなった彼の背中から、絢斗は視線を手もとのディスクへと移す。  この中に納まる、ピアニストとしての志。  聴かなければならない。だが、どうしようもなく怖かった。パンドラの箱を開けることになりそうで。無意識のうちに目を逸らしてきたなにかと向き合わなければならなくなるような気がして。  それでも、絢斗は志のピアノを聴いた。傷つき、のたうち回ることになったとしても、聴くべきだと思った。志のすべてを知りたいと願ったのは絢斗自身だ。  家に帰り、自室のノートパソコンにディスクを入れ、おそるおそる映像を再生した。  志のピアノは、これまで耳にしたことのない、次元の違う演奏だった。  奏でられる美しい旋律だけでなく、顔の表情、指、腕のエモーショナルな動きにも目を奪われる。黙って耳を傾けているだけで聴覚が研ぎ澄まされていくような、一つ一つの音が輝かしい光の粒子になって会場を包み込んでいくような、そんなピアノ。  課題曲の作曲者・ショパンの胸に秘めた想いを代弁するかのように、志は全神経を指先に集中して演奏していた。今よりもやや長い黒髪に、黒いタキシード。彼の本来あるべき姿がそこにはあった。  これが、本当の渡久地志。  日本クラシック界の未来を(にな)う、天才ピアニスト――。  絢斗の頬を、大粒の涙が濡らした。無知であったことを恥じ、志の言葉をすべて鵜呑みにした自分を心の中で(ののし)った。
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