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8.
目を覚ました時、絢斗は自分がどこにいるのかわからなかった。
白い天井。ぼんやりとした視界の端に点滴の袋が見え、あぁ、とようやく合点がいった。自宅で意識を失い、病院に搬送されたのだ。
ベッドの傍らには母がいた。午前中はパートタイムの仕事に出ている母だが、幸い、午後二時にはいつも家に帰っていた。二階の寝室で倒れた絢斗を保護してくれたのは母だろう。
パニック障害の症状が出て過呼吸になったことが倒れた原因だと説明され、その日のうちに自宅へ帰った。母から「志さんから何度も電話がかかってきていたけど」と渡されたスマートフォンは、手にしたその時に電源を落とした。
体調は回復していたが、心は沈み切っていた。
風呂に入ってもさっぱりしないし、食欲もない。ひたすらに無気力で、心配した母が「志さんとなにかあったの?」と訊いてきても首を横に振るばかりだった。母は絢斗が志と楽曲制作をしていることを知っているが、否定されたり、余計な口出しをされたりしたことは一度もなかった。
リビングのソファで膝をかかえ、クイズ番組を呆然と眺めていた。クイズは嫌いではなく、いつもなら番組出演者と一緒になって答えを考えるけれど、今は挑戦する気が起きなかった。
頭の中は志のことでいっぱいだった。大好きな彼の歌声を耳の奥で再生するといつもは心が落ちつくのに、今夜ばかりは耳鳴りがするようだった。
それでも忘れられなくて、つい志のことを考えてしまう。そうすることを、自分の力では止めることができなかった。
午後八時を過ぎ、別の番組に変わった。奇しくも音楽番組で、絢斗はリモコンを引っ掴み、チャンネルを変えた。
キッチンのほうから、インターホンの音が聞こえてきた。こんな時間に来客なんて珍しい。父が鍵を忘れて仕事へ行ったとか、そんなところか。
母が応答する。「はい」「まぁ、そうですか。ありがとうございます、ご心配いただきまして」「少々お待ちください」などと言ってから、絢斗を振り返った。
「絢斗、志さんが」
一瞬、聞き間違いを疑った。
そんなバカな。志さんが、ここへ――?
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