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けれど母は「ほら、早く出なさい」と無理やり絢斗の腕を取ってソファから立たせ、高校時代から愛用している濃紺のロングダッフルに袖を通させると、玄関へとつながる廊下まで押しやった。
ここまで御膳立てされると行くしかなくなり、絢斗は裸足のままスニーカーを引っかけ、玄関扉を押し開けた。
目の前に、モスグリーンのモッズコートを羽織った志が立っていた。
「大丈夫?」
志の第一声は、絢斗を気づかう一言だった。絢斗が外へ出て扉を閉めると、「心配したよ」と続けた。
「こんな時間にごめん。連絡してもつながらないから、またどこかで発作起こして倒れてるんじゃないかって、気が気じゃなくてさ」
志はいつもどおりだった。心から絢斗の身を案じ、都心からわざわざ駆けつけてくれた。
絢斗の視線が下がる。志の傾けてくれる優しさに、涙がこぼれそうになる。
絢斗の頭に触れようと、志の右手が伸びてきた。
近づいてくる志の手首を、絢斗は掴んだ。指先さえ絢斗に触れられなかった志は驚き、「絢斗」と漏らした。
「どうしたんだよ。なんか、いつもと違う……」
そこまで言って、志はなにかに気づいたように小さく息を飲んだ。
「絢斗……おまえ、礼音に会ったな?」
顔を上げ、絢斗は志から手を離した。
礼音。それが大学まで押しかけてきたあの男の名であるらしい。絢斗が黙って志の目を見つめると、志はかすかに舌打ちをした。
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