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「なにを言われた?」
絢斗は答えない。
「俺から離れろって言われたんだろ。俺は歌い手じゃなく、ピアニストになる男だからって」
意図せず瞳を揺らしてしまった。「やっぱりね」と志は言った。
「ごめん、絢斗。あいつの言うことには耳を貸さなくていい。俺は俺の決めた道を行く。あいつの願いと、今の俺の願いは重ならない。それだけのことだから」
言いたいことはわかる。そして志ならそう言うだろうと絢斗は薄々感じていた。
だから、絢斗は首を横に振った。人差し指を立てた右手で自らの右耳を差し、それから両手でピアノを弾く真似をした。
「聴いたのか、俺のピアノ」
志はすぐに絢斗の意図を察してくれた。絢斗はうなずき、もう一度首を横に振った。すごすぎて言葉にならない。ピアノを聴いた時も、彼の歌をはじめて聴いた時と同じ気持ちになったと伝えたかった。
志はため息をつき、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
「おまえも、礼音と同意見か」
右のポケットから出てきた志の右手には、スマートフォンが握られていた。
「おまえもピアニストになれって言うのか、俺に。歌手じゃなく、ピアノのプロに」
メモ帳アプリを開いた志は、絢斗にスマートフォンを差し出して回答を求めた。絢斗は素直に彼の白い端末を受け取った。
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