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 四時限目の終わる午後五時過ぎには、外はすっかり宵闇に包まれる季節になった。おまけに今日は雪までちらついている。八王子駅前を彩るクリスマス仕様のイルミネーションが、舞い散る粉雪をきらきらと白く照らし出し、幻想的な夜を演出していた。  そのまばゆさから目を逸らすように、絢斗はうつむいたまま家路をたどった。()てつく風が、孤独を(あお)るように頬を強くたたいてくる。  帰宅し、風呂に入り、夕飯を食べる。それ以外にはなにをする気も起きなかった。明日のことを考えると気分が悪くなっていた小学生時代よりはマシだった。ただ、「明日なんて来なければいい」と思えていたあの頃のほうがまだ、生きているという感覚があったような気もした。 「絢斗」  午後八時になろうというタイミングで、母が「ちょっとこっちへいらっしゃい」とソファへ絢斗を呼び寄せた。  素直に母の隣に座る。手前味噌だが、絢斗の母親は五十二歳にしてはきれいな肌をしていた。血色がよく、くるりと丸い瞳は絢斗そっくりだった。  午後八時ジャスト。母は黙ってテレビのリモコンを操作した。  三十年以上の歴史を誇る、生放送の老舗(しにせ)音楽番組が始まった。司会進行役は代々、放送局の男性アナウンサーと女優がコンビを組んで務め、現在は浅木(あさぎ)美菜(みな)という、優しい母親から極道の妻までどんな役でもこなせるベテラン女優が番組の顔役を担っていた。  浅木が穏やかな声音で番組のタイトルコールをすると、相方の男性アナウンサーが「今夜の放送は、動画サイトで人気に火がつき、今もっとも勢いのあるアーティストの皆さんをお迎えし、楽曲を披露していただきます」と番組の趣旨を説明した。  カメラが切り替わり、ステージ横のひな壇に座る四組の出演者が映し出される。見覚えのある顔ばかりで、そのうちの一人の姿を目にした瞬間、絢斗は思わず息をのんだ。 「カナデさん、村上(むらかみ)美雨(みう)さん、桃缶(ももかん)シロップの皆さん、そして、Yuki1092さんです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」  男声アナウンサーの紹介に続き、女性ソロシンガー二人と男性三人組ロックバンド、そして志が、それぞれ椅子に座ったまま丁寧に頭を下げた。  絢斗は目をまんまるにし、口は半開きになった。  志が出ている。  テレビの音楽番組に。アーティストとして。歌い手として。  あり得ない。だって彼は、ピアニストになるべくして生まれてきた人なのに。  歌を歌っている場合じゃないのに。
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