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「志さんに頼まれたのよ」
前のめるようにテレビ画面を凝視している絢斗の隣で、母がまっすぐ画面を見つめたまま言った。
「絢斗に見ていてほしいんだって。なにか、伝えたいことがあるんだそうよ」
伝えたいこと。
志さんから、僕に――?
母から液晶画面へと視線を動かす。楽曲披露のトップバッターは、『アニメ声』などと呼ばれる一度聞くと簡単には忘れられないハイトーンボイスが特徴のシンガーソングライター・カナデだ。
二番手の村上美雨、三番手の桃缶シロップと、司会者や他の出演者を交えたトークを経て順に楽曲を披露していく。番組が折り返し地点を超えた午後八時三十分過ぎになり、ようやく志の出番が回ってきた。
司会者の女優・浅木美菜が「Yukiさんは、厳密に言うとシンガーソングライターではないのですよね」と台本どおりと思われる話題を志に振った。
「そうなんです。今ここにはいないですけれども、相方のAyatoが書いてくれた歌詞にぼくが曲をつけるという形でやらせてもらっているので、ソロアーティストでもないんですよ」
「Ayatoさんとお二人で音楽活動をなさっていると」
「はい。Ayatoは身体的な都合で、ぼくみたいにこうしてステージに立つことは難しいんですけど、歌う時はいつもAyatoが隣にいてくれるっていう気持ちでやってます。ぼくたちはあくまで二人組なので」
ひな壇に座る桃缶シロップのボーカルがうんうんと深くうなずく姿がカメラに抜かれる。収録スタジオにさえ出向けていない絢斗の話題がテレビで取り上げられていることに違和感と緊張を覚え、絢斗の心臓は今にも口から飛び出しそうなほどバクバクと激しく鳴った。
相方。二人組。
捨て去ったはずの愛おしい言葉たちが、志の口を次々と衝いてあふれ出す。
何度も忘れようとした大切な思い出。二人で音楽を作っていた時間。
志の中では、まだ終わっていなかった。終わらせるつもりもないようだった。
「Yukiさんご自身で歌詞を書かれることはないんですか?」
「ないです」
浅木の問いに志が即答すると、会場がささやかな笑いに包まれた。
「ぼく、Ayatoの書いた歌詞を歌いたくて曲作りを始めたので、自分で書いたものを歌おうっていう気にはならないんですよね。Ayatoが書いてくれるから、今のぼくがあるっていう感じで。彼の書いた歌詞以外を歌うつもりはなくて、ずっと彼と一緒にやっていきたいと思っています」
「Ayatoさんのことを心から信頼していらっしゃるのですね。お二人の今後のさらなるご活躍、楽しみにしています」
ありがとうございます、と志は言い、男性アナウンサーに促されてひな壇を離れ、演奏の準備に入った。
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