9.

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 短いCメロと、二つのサビを組み合わせた最後の大サビを、志は感情を込めて歌い上げた。  アウトロのピアノ演奏が終わり、一瞬の静寂が訪れる。  志の指先が鍵盤を離れると、テレビから盛大な拍手の音が聞こえてきた。  志が笑顔でお辞儀をした映像を最後に、番組は九十秒間のCMに入った。このあとは四組のアーティストが二組ずつに分かれてのコラボレーション企画が放送され、番組は終了となる。志は村上美雨と組み、村上が大ファンだというディズニーの名曲『A Whole New World』をデュエットする予定になっていた。 「……っ」  絢斗はソファに座ったまま、腿の上に載せた両手を握りしめた。  目尻にたまっていた涙が、すぅっと頬をすべり落ちる。  胸の奥が熱くなり、なりふりかまわず大声で叫びたい衝動に駆られた。  ――バカだ、僕は。  絢斗だけがあきらめていた。儚い願いを、叶わないと決めつけた。  志はあきらめていなかった。夢という名の消えない火は、今も彼の胸を焦がし続けている。  礼音に押しつけられたDVDの中にいたピアニストの志と、絢斗の詩を誰よりも丁寧に、大切に歌ってくれる志。絢斗の脳裏で、ぴったりと二つの影が重なった。  点と点がつながり、一本の線を描き出す。  美しく輝くその線は、渡久地志というミュージシャンの輪郭をはっきりとなぞっていく。  どちらも志だった。  彼はピアニストであり、歌い手だった。彼はそれを、絢斗にわからせたかったのだ。ギターを手放し、ピアノで歌を歌うことで。  呼吸が震える。  会いたい。  志さんに、会いたい――。  絢斗はソファから立ち上がり、二階の寝室へと走った。パジャマを脱ぎ捨て、適当な普段着を引っ掴んで袖を通す。  濃紺のロングダッフルを着込み、財布とノートの入ったトートバッグを持って一階に下りると、廊下で母が待っていた。 「一つ、伝えておかなきゃいけないことがあるの」  ダイニングテーブルに置き忘れていた絢斗のスマートフォンを手渡しながら、母は言った。 「志さんは、全部知ってる。絢斗のこと。あなたがどうして、しゃべれなくなってしまったのか」  絢斗は両眉を跳ね上げた。志にせがまれたのか、あるいは母が自主的に教えたのか。どちらでもいい。大切なのは、志がすべてを知っているということだけだ。 「行きなさい、絢斗」  母はいつになく真剣な目をした。 「全世界が敵に回ったとしても、志さんだけは、最後まであなたの味方でいてくれるはずだから」  もちろん、私もね――。そう言って、母は笑顔で絢斗の背中を押してくれた。  靴を履き、母と目を合わせてから、絢斗は真冬の夜へと飛び出した。
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