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吃音症。
三歳から六歳頃の未就学児にしばしば見られる、言葉をうまく話せない症例を、絢斗は小学生になっても克服することができなかった。頭の音が何度も重なってしまったり、そもそも言葉が出てこなくて悩んでしまったりと、スムーズな会話が困難だった。おかげで友達からは煙たがられ、いつも一人ぼっちだった。飽きっぽく気の短い小学生に、絢斗が発言を終えるのを根気よく待つということができるはずもなかった。
そのうち会話をすることや、声そのものを出すことすら怖がるようになり、一時は学校へ行くこともできなくなるほど塞ぎ込んだ。
それから、十二年。
こうして再び声を取り戻すまで、十二年の月日がかかった。
何度も逃し続けてきたチャンス。みんなと同じようにしゃべりたいと願った気持ち。
やっと叶った。志が手をつないでくれたから。
志が、そばにいてくれたから。
「絢斗」
今度は志が、絢斗をおもいきり抱き寄せた。
「よくがんばったな。嬉しいよ、おまえの声が聞けて」
優しく頭をなでてくれる。本当に、どこまでも優しい人だ。
胸にうずめていた顔を上げ、絢斗は弱々しい声で懸命に言葉を紡いだ。
「ぅ……ごー、ご、ごめ、ごめんなさい。ぼ、ぼく……ゆー、ゆゆ志さんに、ひ、ひどいことを」
「謝るな。悪いのは俺だ。俺が自分の話を避けてきたから。本当はピアニストじゃなくて歌手になりたいんだって、家族にも、音大の仲間たちにも言えなかった。逃げるように、隠れるようにして歌手活動を始めて、バレて、周りから否定されて……」
絢斗の頭をうっすらと白く染める粉雪を、なでるように、志は静かに手で払った。
「俺が間違えた。やり方を。絢斗との出会いを言い訳にしようとしてた。最低だよな。ただ迷ってただけなのに、ピアノをやめるって決めたことを、絢斗のせいにしてさ」
「ちが、ち、違う」
絢斗は訴えかけるように首を振る。
「んー、ん……あ、あの、あの……っ」
「落ちついて」
志は立てた右の人差し指を、あたふたと忙しなく動く絢斗の唇に押し当てた。
「ゆっくり言ってみな。ちゃんと聞いてるから、俺」
言われて、冷静さを取り戻す。一度深呼吸をして、絢斗は意識的にゆっくりと話した。
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