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年度始めの初日とあって、人事異動者のみが出席する発令式を終えると、その足で新職場へと向かう。
横浜市道路局施設課は、橘が働く河川事業課の一つ下のフロアにあり、市庁舎の21階に位置する。
街路樹や横断歩道橋、道路照明灯、バリアフリー工事など、交通安全施設の管理をメインにしているが、他にも無電柱化事業や駐輪場等の管理も行っているため、業務は多岐に渡る。
俺がこれから受け持つバリアフリー等担当係は、歩道の段差改善や点字ブロックの設置等、道路のバリアフリー整備の他、電気や通信、ガス管等のライフラインが集約されている共同溝の管理、自転車通行環境の整備、道路標識の設置に関すること等、主として交通安全事業を担っている。
係としては5人体制で、月の残業時間が局の中でもトップクラスに多い職場なだけに体力のある若手が多い。
今回の人事で新たに施設課に配属されたのは6名だったが、そのうち補職者は俺だけだった。
「──では、異動者の紹介をします。まず、当課のバリアフリー等担当係長として来られました湯浅係長です」
「河川事業課から参りました湯浅尊です。よろしくお願いします」
背筋を正し、腹の底から声を張りつつ執務室全体を見渡す。
北西角に位置する施設課の隣には、維持課、管理課、道路調査課と、向かい合わせに配置されたデスクが連なっていて、フロア全体が見渡せるレイアウトになっている。
そして施設課の中でも、窓口から最も離れた西端の一帯がバリアフリー担当の島だった。
男性が1人、女性が1人立っているのが確認できる。
向こうも直属の上司がどんな奴かと、まじまじとこちらを見据えていた。
係長になって2つめの職場だ。
慣れてきたとはいえ、やはり緊張は否めない。
挨拶が終わると、北壁に設置された窓からの控えめな陽光を右半身に受けながら、俺の役職に与えられた膝掛け椅子の前に立った。
当座の問題は見えている。
机上の書類の山。山。山。
右も左も正面も、書類で埋め尽くされていて周囲の職員の顔が見えない。
引き出しの中ですら、要るのか要らないのかの判断すらなされずに残された古い書類で埋め尽くされていた。
その光景に言葉を失いながら、黙って唇を引き結ぶ。
異動してきて早々、落胆はしたくない。
気持ちを切り替えて顔を上げると、その場にいた部下に1人ずつ声を掛けた。
久我翔平は30歳で、物静かな印象の男性職員だ。
少し重たい一重瞼に高い鼻、落ち着いていて受け答えもスマートなため、急な事象にも臨機に対応してくれそうだ。
天宮咲は27歳。
施設課4年目で係の中では一番のベテランである。
襟足長めのショートカットにふっくらとした体型をしていて、朗らかな笑顔が印象的な女の子だった。
最後に、俺と一緒に異動してきた向かいの席の森山翠に声を掛けた。
小柄で瞳は大きいのに口元が小さいためか、チワワやリスザルのような愛くるしさがある。
「あの、森山です。よろしくお願いします」
彼女は緊張のあまり、大きな瞳を更に見開いて俺を見上げていた。
誰も取って食いやしないのに、26歳とは思えない程の初々しさと純真さが相まって、思わず守ってあげたくなるような女の子だ。
先ほどの挨拶では管理課から異動してきたと言っていたから、同じ管理課出身の橘なら彼女のことをよく知っているかもしれない。
その緊張を少しでも解してあげたくて、俺は努めて温和に微笑みかけた。
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