762人が本棚に入れています
本棚に追加
携帯のアラーム音が静寂を打ち崩す。
重い瞼を開けると、マットレスの上で伸びをした。
昨日は、残業続きで疲れていた尊に配慮し、結局は別々の寝室で眠った。
同棲生活の目的は、彼の生活をサポートするためだ。
一緒にいたいからとか、付き合った流れでといった甘い理由で始めた訳ではない。
廊下に出ると、向かいの主寝室で眠る相手を起こさぬよう、足音を消して洗面所へと向かう。
タイマー設定していた洗濯機が回る音を聞きながら、洗顔と歯磨きを済ませ、手早く朝飯の用意を始めた。
今日は、玉ねぎの味噌汁に、鮭の塩焼き、納豆、茄子の浅漬け、蒸したブロッコリーに俺だけミニトマトを添える。
尊は、子供の頃から生のトマトが苦手らしい。
以前、何も知らずに食卓に並べたところ、無理して食べて顔を歪めていた。
朝飯の準備が整うと、まだ夢の中にいた彼をベッドから引き摺り出し、ぼんやり頭が覚醒するのを待つ間に洗濯物を干していく。
尊は朝が苦手なため、起動に必要な時間はいつもこうやって待つことにしていた。
作業を終えてもまだソファで瞑目している彼の肩を叩くと、鍋で保温しておいた味噌汁をお椀に注ぎ、冷凍保存していたカット葱を上から散らす。
ようやくテーブルの前に腰を落ち着けると、目の前では乱れた着衣を整えもせず、手を合わせる尊がいた。
「いただきます」
寝癖がついた栗色の髪は、ベランダから吹く南風で時折ふわりと揺れている。
まだ睡魔と戦っているのか、伏せ目がちのその瞳は長い睫毛に隠れ、口元だけが緩慢に動いていた。
職場では決して見せない、気の抜けた表情。
俺にだけ見せるその緩い雰囲気が好きだった。
食後には再びソファに座り、のんびりとテレビを見始めた彼氏を横目に、部屋の掃除を開始する。
平日は掃除まで手が回らない分、休日の午前中は俄然やる気が漲ってくる。
今日みたいに晴天に恵まれた日は尚のことだ。
風呂場やトイレ、キッチンの水回りの掃除を先に行い、最後にリビングや寝室の掃除機をかける。
気付けば9時を過ぎていた。
服を着替え、洗面台で髪をセットしていると、ストライプシャツの襟を直しながら尊が背後に立った。
グレージュの薄手のクルーネックセーターを上から重ね着し、黒のテーパードパンツを履いている。
普段はスーツかスウェットしか着ないため、セーター姿は珍しい。
「なぁ、鎌倉って観光地だし、もし誰かに見つかったら何て弁明するつもりだよ」
怪訝そうに眉を寄せながら、ワックスを掌に伸ばし、切り立ての短髪を逆立てるようにして毛先に馴染ませていく。
以前は長い前髪で額を隠していたのだが、異動が決まり気持ちを一新したかったのか、今は白い額を見せている。
耳から下もばっさり刈り上げ、トップの髪を下ろしていて、彫刻で切り出したようなシャープなフェイスラインが引き立っていた。
「さあ、何も考えてなかった」
「お前、それ一番大事なとこだろ」
見慣れないその髪型も新鮮で可愛いなと見惚れていると、相手は毛先を整える指先を見つめながら、悩ましそうに頭を働かせている。
「鎌倉で偶然会ったことにするか……いや、おかしいか。用があって……って男二人の用って何だよ」
「用意できた?」
「……お前な」
最初のコメントを投稿しよう!