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何故、クリニックの前に倒れていたのかさえ思い出せない。
私は観念して白状した。
「私、頭の中が真っ白で、何も思い出せないんです」
医師なら大丈夫だろうと判断したからだ。
「……そう、ですか。他に痛いところや気になるところはないですか?」
医師、森野は聞きながら、私の脇の下に体温計を挟み、反対側の腕で血圧を測っていく。とても慣れた手付きに思えた。
「あ、いえ、大丈夫だと思います。あのでも先生。先生は私のことを知っているのですか?」
血圧を測り終え器具を片付けながら森野は答えた。
「もちろん知っています」
「あの、私は誰なんでしょうか。全然思い出せなくて」
私は何もわからないという事に、気持ちが焦り出していた。
森野は優しげな眼差しで、
「あなたは、アンリという名前の女性です。記憶はいずれ戻るでしょう。焦らなくて大丈夫ですよ」
森野はそう言うと部屋から出て行ってしまった。
「私の名前はアンリ……」
名前をつぶやいてもしっくりくるような、こないような気持ちは落ち着かないままだった。
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