アザリアは人魚になりたい

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「身なりがよくて気弱って、いいカモにされるから気を付けたほうがいいよ」 クワトロチーズ、生ハム、葡萄酒が並んだテーブルを挟んで座っているアザリアに、ユウナは腕を組んで軽くお説教する。 「私はお金持ちではありませんから、ああいうトラブルには遭わないと思っていましたわ」 ピザを食べているアザリアが肩にかけている仕立ての良いレースのガウン。 素材は上物だが、だいぶ古いデザイン。 ユウナはよく見ると右腕にかかるレースの一部が糸で丁寧に繕い直されているのに気がついた。 じっと見われているのに気がついたアザリアは、ハッとして右手首を左手で隠した。 「……この(あざ)、気になります?」 「なんのこと?」 レースしか目に入ってなかったユウナは目をぱちくりさせた。 恐る恐る左手をずらすと、アザリアの右手首から赤い痣が現れた。 「生まれつき右手首に痣がありますの。 真っ赤で大きいので、初めて見た方に奇妙な顔をされますわ」 アザリアは寂しそうな顔をして痣をなでた。 「別に私はなんとも思わないけど。 それがアザリアっていう証明みたいなものでしょ?」 今度はアザリアが目を丸くし驚いた。 「ありがとう、ユウナさん。 そんな風に言ってくださった人はユウナさんで2人目だわ……」 アザリアは照れ臭そうに笑った。 ユウナはその痣にはなんの感情もないが、アザリアに漂うどこか薄幸の空気が気になった。 こうやって酒を飲むのも何かの縁だ、ユウナはアザリアに訊ねることにした。 「突っ込んだ話し聞いてもいい?」 「なんでしょう」 「アザリアが身につけているものは一般国民が手に出来ない上等品。 でも酷く時代遅れのデザインだわ。 そこから考えられるのは、貴方は元・貴族!」 そうビシッと指摘されアザリアの表情が一気に暗くなる。 そして持っていたグラスをゆっくりとテーブルに戻した。 「……その通りですわ。  正確に言えば没落伯爵家の娘ですの……」 「うそ、当たったの? 没落って? 何があったわけ?」 まさかのストライクでユウナも驚いたが、上級貴族がどんな理由で没落するのか知りたいユウナは矢継ぎ早に質問してしまう。 一身の事情をそう簡単に他人に話していいものかとアザリアが逡巡していた。 (確かに会ってすぐに身の上話はさらけ出せないよね。なら私が先に) 「じゃあ、私から自己紹介。 ユウナ・アレクサンドリア、独身。 ど田舎にいる親とは縁切って都に出てきた。 アムール王国で王様のメンタルサポートやってました。 一生遊んで暮らせる財産は保管業者に頼んで管理してもらってる。 暗証番号は『η35φ8ψ672』よ!! ちなみに生年月日はアザリアと同じ。 はいっ、これが私の全てよ!」 ユウナは息継ぎなしに話し終えニコリと笑った。 その様子に呆気に取られたアザリアの口は半開きだ。 「そ、そこまで晒していただかなくても。 暗証番号なんて冗談でもそんな簡単に口にしてはいけないわ」 「アザリアって真面目ね。 でも、私は包み隠さず教えたわよ。 さ、次はアザリアの番」 「あの、私の話は気が重くなると思いますが、いいのですか?」 「うん聞きたい」 アザリアは仕方ないといった表情で語り始めた。 「私の父は伯爵で母親は商家の娘でした。ある日、父が鉱山の投資事業に失敗して母の実家の財産まで溶かしてしまいました。母親は出てゆき父は事業の立て直しがうまくいかずアルコールに溺れました。莫大な借金を抱えて使用人にも賃金が払えず、私が働いて今は屋敷にアルコール中毒の父と二人暮らしですの」 息が苦しくなるくらいの、これでもかっという不幸の嵐だった。 さすがにここまでとは想像だにしていなかったユウナも一瞬言葉を飲んでしまった。 「……大変なんだな。 でも借金は父親のものだ。 アザリアに返済義務はないだろう?」 アザリアは頭を横にふる。 伏せた目には涙が輝いていた。 「自分の父親だもの。 どうして見捨てることなんてできます? 私が出来ることはやってあげたいんです」 ふっくらしたアザリアの頬に一筋の涙が流れた。 ユウナは頭を抱えた。 お人好しで気立てが良くて人を疑うことを知らない人種が一部いることを知っている。 どんな困難が待ち受けても、そこから逃げずにどんなに辛くても歯を食いしばって正面からぶつかる人種。 ユウナはそう言った精神論で生きるのは苦手だ。 無理だと判断すればそうそうに回避したほうが人生は楽だ。 もっと気楽に生きていく方法をとればいいのにとユウナはいつも呆れてしまうのだ。 「辛いなら逃げちゃえば? 私みたいに」 「ダメよ。父が1人になってしまう」 「だってお父さんはアルコール漬けなんだろう?   そこまでする義理もないだろうに」 「私を育ててくれた人を、、できないわ。 私が頑張ればいいのですから……」 伏せた目から涙がポロリポロリと落ちる。 ユウナは静かに悲しむアザリアの涙を目で追う。 ただの水の塊ですら気品を感じるのだ。 やはり貴婦人は平民とは育ちが違うと実感する。 「でも、ユウナさんのように自立して立派な方もいると知って、羨ましいと思いましたわ」 そう言い終えると同時にアザリアの涙が止まらなくなった。 まさかこんな感傷的な展開になるとは、とユウナも口を結んでしまう。 「本当は消えてしまいたいくらい辛いんですっ……」 アザリアが本音を吐くと、顔を覆い咽び泣いた。 顔を覆った、その手を見ればわかる。 赤くあかぎれている。 上級階級の優雅な暮らしから一転、全てを失い、親の代わりに借金返済しながら家事までして……。 立派に生きているという証。 王様のメンタルサポートもそうだった。 こういう時はすべて吐き出させてすっきりさせるのだ。 ただ何も言わず側にいるだけでいい。 ユウナはただ黙ってアザリアの背中をさすってあげた。 ひとしきり泣くと、アザリアは落ち着きを取り戻した。 「弱気なことばかり言って、ごめんなさいね。 父が待っております。 そろそろ帰りますわ」 「ねぇ、明日もここで食事しようよ。 アザリアのこと、もっと知りたいし」 なぜかユウナはアザリアを引き留める。 「ええ? 私のことをですか?  大した面白いお話は出来ませんのに」 困惑するアザリアをみて、たしかにな、とユウナも心中で同意してしまう。 アザリアに再び会ってもユウナに得などない。 それなのに会いたいとは、アザリアが及び腰になるのは当然だった。 「違うな。 きっと私はアザリアのような人をほっておけない性分なんだ。 明日また会えばきっと私も落ち着くだろう。 だから私のために明日、もう一度だけ時間を作ってよ」 ユウナが申し訳なさそうに顔の前で手を合わせお願いした。 アザリアは少し不思議そうな顔をしていた。 「……ええ、わかりましたわ。 そこまでおっしゃるのなら……。 では、明日、仕事終わりにここで」 そういってアザリアは軽く会釈をして帰って行った。 ユウナは1人店に残った。 椅子の背もたれに身を任せて、葡萄酒を飲みながら考えた。 なぜアザリアのことを知りたくなったのだろう。 話を聞いているだけで不幸が移ってしまいそうなのに。 没落しても身持ちは崩さないのはさすが貴婦人。 こんな境遇の人間に会ったのは初めてで、興味をもったのか? いずれの予想も間違っている気がする。 ユウナは自ら不幸を被る残念な人間を放っておくことができないと自覚している。 王様も本人は何の問題もないのに、周囲の人間たちのせいで悩みが尽きなかった。 アザリアも似ている。 だからなのか、どうしても構いたくなってしまったのだ。 そして、こころなしか胸の奥底がワクワクしている自分にも気がついている。 これはサポートできることへの喜び? 多分これは一種の職業病なのだろう。 (まぁ、理由なんてどうだっていいわ。 私は暇を持て余している。 人助けで暇つぶしも悪くないもんね) 1日歩いて浮腫んだ足を軽く揉む。 「今日はサウナ付きの宿にしよっと」 ユウナは今日の宿を探しにようやく重い腰をあげた。 ♦  ♦  ♦
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