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11月7日、午後
*
昼休憩に行こうかなと思っていたところで、オンライン上のコールで呼び出される。
「はい、井沢……」
「あー、柚葉ちゃん?」
私が名乗り終わるよりも早く、ヘッドセット越しに和田さんの不機嫌そうな声が聞こえた。
不機嫌な人に自分の名前を「ちゃん」付けで呼ばれるのは、なんて嫌なことだろう。
「……何かありました?」
「あのさー、通販売上ファイル作成のバッチ、なんか変だよ?」
「はい?」
なんか変だよ、頭の中で和田さんの言葉が反芻し、無意識に指が動きはじめ設計書フォルダを開き始める。
「なんかさぁ、クーポンレートが設定されてないとこあって、利益率おかしいってバイヤーからクレーム来たよ?」
「レート? ちょっとDB見ますね」
データベースに接続できるツールを起動し、頭が考えるより先に両手がキーボードを叩いていく。これは誰の意思なんだろう。データベースでSQLを実行した結果に愕然とし、ミュート状態にしてから大きくため息をつく。それから息を吸ってミュートを解除した。
「すいません、和田さん。たしかに、この銘柄のレートが取れてないですね。Nullになってます。たぶん前日夜間処理に何か問題があります。ログを調べないとですが」
「は? 何だよそれ? つまりさー、バグってこと?」
「そう、なります……」
「頼むよー。これ、柚葉ちゃんが作ってリリースしたとこだよね?」
「こ……」
思わず『この処理を作ったのは私じゃなくて前任の坂東さん!』と言いかけたが、胸の中で叫ぶにとどめた。
そんな私のためらいなど知ることもない和田さんが言葉を続ける。
「午前中のうちにパッチ当ててバイヤー向けにファイル出力しといてくれる? 報告書と再発防止策はその後に」
一方的に用件を言われて通話が終了した。
ヘッドセットを外し、私は大きくため息をついた。
前任者の名前を出さなかったのは、私の優しさや責任感などではない。いなくなった人のせいにしても仕事が減るわけじゃないからだ。
他人の名前を出したところで誰かが助けてくれるわけじゃないし、時間が経てば勝手にバグが治るわけでもない。
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