11月7日、午後

1/2
前へ
/13ページ
次へ

11月7日、午後

*  昼休憩に行こうかなと思っていたところで、オンライン上のコールで呼び出される。 「はい、井沢(いざわ)……」 「あー、柚葉(ゆずは)ちゃん?」  私が名乗り終わるよりも早く、ヘッドセット越しに和田(わだ)さんの不機嫌そうな声が聞こえた。  不機嫌な人に自分の名前を「ちゃん」付けで呼ばれるのは、なんて嫌なことだろう。 「……何かありました?」 「あのさー、通販売上ファイル作成のバッチ、なんか変だよ?」 「はい?」  なんか変だよ、頭の中で和田さんの言葉が反芻し、無意識に指が動きはじめ設計書フォルダを開き始める。 「なんかさぁ、クーポンレートが設定されてないとこあって、利益率おかしいってバイヤーからクレーム来たよ?」 「レート? ちょっとDB見ますね」  データベースに接続できるツールを起動し、頭が考えるより先に両手がキーボードを叩いていく。これは誰の意思なんだろう。データベースでSQLを実行した結果に愕然とし、ミュート状態にしてから大きくため息をつく。それから息を吸ってミュートを解除した。 「すいません、和田さん。たしかに、この銘柄のレートが取れてないですね。Nullになってます。たぶん前日夜間処理に何か問題があります。ログを調べないとですが」 「は? 何だよそれ? つまりさー、バグってこと?」 「そう、なります……」 「頼むよー。これ、柚葉ちゃんが作ってリリースしたとこだよね?」 「こ……」  思わず『この処理を作ったのは私じゃなくて前任の坂東(ばんどう)さん!』と言いかけたが、胸の中で叫ぶにとどめた。  そんな私のためらいなど知ることもない和田さんが言葉を続ける。 「午前中のうちにパッチ当ててバイヤー向けにファイル出力しといてくれる? 報告書と再発防止策はその後に」  一方的に用件を言われて通話が終了した。  ヘッドセットを外し、私は大きくため息をついた。  前任者の名前を出さなかったのは、私の優しさや責任感などではない。いなくなった人のせいにしても仕事が減るわけじゃないからだ。  他人の名前を出したところで誰かが助けてくれるわけじゃないし、時間が経てば勝手にバグが治るわけでもない。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加